ラベル 研究 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 研究 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019/12/18

Neomedievalism

Brewerから10月に刊行されたそうです。



目次をざっとチェックしただけなので何とも言えないのですが、トールキンからハリウッド映画から人気ドラマGame of Thronesまで、最近の中世主義について、&ポップカルチャーと学術界との橋渡し、という感じでしょうか。
Medievalismというとやはり先ず思い浮かぶのは、PRBなど19世紀辺りですが、さらに現代のものがNeomedievalism・・・という理解で合っているのかどうか分かりませんけれども、現代のゲームや映画に中世ヨーロッパの騎士道物語などの要素が影響していることはままありますし、実際、その辺りから中世っぽいものに興味を持って、中世ヨーロッパ文学やヨーロッパの中世史などを学んでみる人もいるわけです。

中世ヨーロッパだけではなく、古典や古代ローマもハリウッド映画などの題材になりますが、ゲーム等ではどうなのでしょう。
LEGOでも騎士のお城はありますけれども、古代っぽいものは無さそうな気がします。
この、中世特有の魅力というのは何なのでしょうか。騎士にお城にお姫様、ドラゴンに魔法・・・というまあベタなモチーフが満載ではありますが、これらを「ありがち」と感じられるぐらい、こうしたモチーフが広がっているということでもあります。
ギリシア・ローマ古典の作品だと、一部の登場人物や神々はお馴染みの存在ですが、(例えば、アキレスという名は聞いたことがある人も多そうです)現代のポップカルチャーにおける活用のされ方となると、アーサー王ネタなど中世の方がリードしていそうな印象ですが。あくまで印象ですけれども。

いずれにしても、#いかアサに通じるところもありそうな気がする書籍ですね。

2019/08/17

新刊

首都圏のお盆は7月15日ごろですが、当然8月のお盆がスルーされているわけではないので、スーパーでは1か月以上お盆用品が特集(?)されています。
祖父母もとうに亡く、帰省先もないので、例年通り普通に過ごしましたが、今回は台風が悪い意味でちょうどのタイミングで来てしまったので大変な思いをされた方もいらっしゃるかと思います。

抱えていた原稿は数日で一気呵成に書き上げ、読書に戻っています。



Brewer社から、サラ・サリー先生の本、Imagining the Pagan in Late Medieval Englandが出ました。

サラは、留学中履修した「Making the Middle Ages」というオムニバス授業のコーディネーターの先生で、後輩の指導教授でもあります。

Brewer社はまた、サラの勤務先であるKing's College Londonの、King's College London Medieval Studiesシリーズも刊行しています。以前も紹介したように思いますが、このシリーズの、中世のSFという巻を編集しているJames Pazは、上記Making the Middle Agesのクラスメートです。

2019/06/16

日本中世英語英文学会東支部第35回研究発表会

土曜日に、明治大学駿河台キャンパス(リバティタワー)にて開催されました。リバティタワーは御茶ノ水駅から御茶ノ水橋のところの大通りを南下し徒歩数分のところにある23階建てのビルで、かなり「green」なビルになっております。こちらのページに詳細な紹介があります。

かつては部門別会議・懇親会のために毎年4月にはリバティタワー及び今回の学会で懇親会が行われたアカデミーコモンを訪れていましたが、会議・懇親会も今では所属学部のものはなくなり、滅多に来なくなりました。とはいえ、こちらには中央図書館もあり、私にとってはdoor-to-doorで1時間かかるかかからないかで着く、母校よりも近い大学なので、まれに訪れています。年1回未満ぐらいですが…

リバティタワー最上階のレストランも、2、3回、教授の先生との食事や懇親会で利用した経験がありますが、最上階のフロアはお手洗いからの眺望も素晴らしいという状態です。(笑)

懇親会場となったアカデミーコモンは、更に新しいガラス張りのビルです。こちらに入ったのは本当に数年ぶりでした。

さらに新しいグローバルフロントという17階建てのビルもあるのですが、こちらには行ったことはありません。


金曜日夜の天気予報で暴風雨への注意喚起がなされていて心配だったのですが、家を出た時は本降りの雨+傘が壊れてもおかしくないぐらいの強風でしたので、駅までの徒歩が大変でした。


学会では、学会の今後について活発な意見交換がありました。2017年度まで4年間、決算報告書を作成していた私から見ますと、収入<支出という年のほうが多かったので、院生への旅費補助などを行いますと、おそらくどんどん貯蓄が減っていくと思われます。もちろん、当面底をつくことはないでしょうけれども。また、研究発表会をもしも開催しなければ、出費はほぼなくなるので、年会費をなしにしても、財政上困ることはありません。

個人的には、発表希望者が集まらない理由のひとつは、全国大会のほうが箔がつくと言いますか、大きな業績になるからではないかと思っています。例えば、日本英文学会全国大会などは、応募者全員が発表できるわけではなく、審査がなされているというわけで、学会発表実績の中では大きなものになります。一方、東支部の研究発表会は、出せば発表できる(一応、審査もしてはいるのですが)という感じなので、業績稼ぎという面では分が悪くなります。

しかしこのハードルの低さが、学会でまだ発表したことのない大学院生などにとっては丁度良いのであって、私も学会で初めて発表したのはこちらの東支部研究発表会でした。いきなり全国大会に出るよりは、まずは地区別大会で経験を積む、といったところです。私の院生時代は、初めての学会発表が全国大会というのは大変にすごいことでした。
それが今は、最初から全国大会を目指すという流れになっているような気がします。


先週、新幹線に乗って泊まりがけで親族の結婚式に出席してきましたので、今週はとても疲れていて、今日も懇親会後また飲むでもなくカフェ等に行くでもなく直帰。なんと8時台に家に着きました。

運営に携わられた幹事の先生方、学生アルバイトさんに御礼申し上げます。

2019/02/07

学会年会費振込・The Auchinleck Manuscript: New Perspectives

今日は郵便局まで歩いて行って、西洋中世学会の年会費を振り込みました。他に用事がなく、ただただ郵便局まで往復20分ぐらい歩いただけでした。正直なところ、学期中に振込用紙が送られてきた方が、仕事の行き帰りにATMに寄れるので助かるのですが。


さて、今読んでいるのはAuchinleck写本に関する論文集のペーパーバックです。

 

 
Auchinleck写本は、中世の、英語で書かれた物語文学などが多く入った写本で、現在スコットランドのナショナルライブラリーに所蔵されており、中世の物語文学を少し研究すれば必ずその名を目にする有名な一冊です。本書は2016年の刊行(ペーパーバック版は2018年出版)で、Derek PearsallやTony Edwardsなど著名な研究者の論考も収録されています。Siobhain Bly Calkinは、最近の、サラセン論などでもよく見かける研究者ですが、そういえばまさにAuchinleck写本を絡めた研究書も出していましたね。
Derek PearsallとTony Edwardsには直にお会いしたことがあります。Edwards氏とひとまとめな感じで学会発表した時は本当に緊張しました。物凄いプレッシャーでしたね…。
 
まだまだ読み途中ですが、一本の論文が比較的短く、具体的な話も多いので読みやすいです。

2018/12/03

日本中世英語英文学会第34回全国大会

今回はこの土日に、愛知県刈谷市の愛知教育大学にて開催されました。
我々パートタイマーは自腹を切っての参加ですので、宿泊を伴う地方での参加であれば、授業4~5回分のお金をかけると思うと・・・ということで、実は今年から「学会には基本的に必ず参加する」という行動方針を見直そうと思っていた矢先の司会依頼でした。
ルネサンス期英文学で(いや、もしかすると英文学全体で?)一番有名なのがシェイクスピアだとすれば、中世英文学でおそらく最もメジャーなのがチョーサーでしょう。英文科でない人からも「カンタベリー物語って何か聞いたことある」などと言われますし、実際に、岩波文庫で簡単に訳本が手に入ります。
しかしその有名さゆえに当然研究が多いこともあって、敢えて主要な研究主題としては取り上げてきませんでした。

司会は6月には大体決まっていたので、それから少し勉強を始めておけばよかったものを、結局泥縄で準備してしまい、取り敢えず岩波文庫で話を復習して、すっかり酸化?して変色して古文書化したRiverside Chaucer(2002年購入)を出してきてExplanatory notesを読み、Google Booksまで使ってみる始末でした。そこで見た情報では、超有名人のハロルド・ブルーム編纂のシリーズでチョーサーを取り上げた一巻において、チョーサーの妻がかのジョン・オブ・ゴーントの子を為したという驚愕の情報がありましたが・・・

『カンタベリー物語』は巡礼の一行の面々が一人一人、道中様々な挿話を語っていくという設定で、そのうちの一つが「バースの女房の話」であるわけですが、自分のRiverside Chaucerを見ると、カナが振ってありました。つまり、内容を勉強したのではなく、音読の勉強に使った挿話であったのです。
この挿話は、プロローグで、語り手のバースの女房が自分の5回の結婚体験談を展開し、物語本編ではアーサー王伝説のガウェイン卿とラグネル(でしたか?)の結婚の話と基本的に同じストーリーが語られますが、確かプロローグのほうが長く、とうとうと体験談が語られます。
巡礼ご一行様を作品の最初に一度に紹介する「General Prologue」の箇所では、バースの女房は人生ずっと「worthy」な女であったと紹介されますが、A Chaucer Glossaryによれば、とりわけGeneral Prologueの中では「worthy」はしばしばironicであるとのこと。
12歳から年の差婚をし、一方で自ら好きで選んだ夫になると今度は説教され殴られ耳が不自由になったバースの女房。現代であれば、プラン・インターナショナルのチャリティの対象になる状況ですし、夫も傷害罪を犯しています。一方、男性中心主義的な見方であれば、また、時代背景を考えれば、バースの女房はおとなしく従順に夫の言う通りにし、「足が折れたみたいにずっと家にいる」妻ではないので、夫も酷い目に遭っているという言い分になるでしょう。
プロローグにおけるバースの女房の、女性が主導権を握りたいという主張は、物語本編の結婚の話によって、アーサー王伝説の権威(というほどのものがあるのかどうか分かりませんが)を背景にサポートされますが、チョーサーの真意は男女どちら側にたった見方のほうにあったのか、なかなか考えさせられます。チョーサーにはLegend of Good Womenという作品もあり、その名の通り善女伝なので女性の良いところを書いてくれてはいるわけですが、現代の我々の感覚では必ずしも女性称揚とも言いきれないところもあります。また、当時の作品の常として、ゼロからオリジナルで作品を書くわけではなく、様々なソースから取ってきたものを織り合わせながらの作品執筆なので、それがまた話をややこしくします。

Judith Weissはアングロノルマン語のロマンスに関する論文で、その女性登場人物たちが、時に恐ろしい程エネルギッシュだが、意に反した結婚をさせられるなど、powerfulかつpowerlessである、と指摘していますが、これがまさにバースの女房の姿を言い表しているように思われました。またこの論文では、このような女性たちは、教育も地位も財力もあるパトロンの女性たちにインスパイアされたのではないかと述べられていました。Google Booksで見かけただけの情報では、当時の王の愛妾アリスがチョーサーのパトロンだったと言い切っている本もあったようですので、この辺りも重なるところがあるのかもしれません。

また、Edith Joyce Benkovは、女性を黙らせるための暴力は概して不首尾に終わると論文中で言っていますが(その例として、ピロメラを黙らせようとして男が舌を切ったけれども結局ピロメラは織物によって話を伝達できたという神話のストーリーが挙げられています)、ここで注目されるのは暴力の目的が「黙らせる」であることです。(女性の発話は抑制さるべきもので、言葉の自由な利用イコール自由奔放な性的道徳規範であるという)では、バースの女房が散々殴られたのなら、それは何のためであったのでしょう。耳が不自由になった原因である夫No. 5の殴打は、夫が読んでいたミソジニー系書籍を引きちぎったことが契機でしたが・・・


と、前日に付け焼き刃で色々と考えてはみたのですが、何分、そもそもチョーサーについて読んだ文献がロマンスについてのものと比べて圧倒的に少なく、勉強不足のまま司会に臨みました。研究発表より緊張しました。そもそも、大学院で徹底的に訓練を受ける研究発表とは違って、司会の仕方は教わることもありませんので、見よう見まねです。人前で話すのは非常に不得手なので、完全原稿を打ってしまいました。
驚いたのが、「発表時間30分には司会者による発表者紹介も含まれる」ということです。相当簡潔にしたつもりでしたが、このことを直前に知ったので更に原稿を削りました。本学会では2度発表していますが、発表者としてもこのことは知りませんでしたので、きっかり30分で用意してきていました(私の出身大学院では、数十秒余らせれば指導が入ります)。

発表はスムーズに行われ、質問も出て良かったです。先生方、どうもありがとうございました。

しかし一日でこれだけ研究(とまではいきませんが)ができるのか、であれば毎休日もっと頑張れば・・・と反省と言いますか愕然といいますか。


今回は交通アクセスがあまり良くなったせいか、やや出席者が少ないような印象を受けたのですが、ゆったりしたプログラムで過ごしやすかったです。椅子が固くて痛かったですけれど・・・笑。

学会会報に、開催校最寄り駅の知立には宿泊施設があまりないので名古屋へ、と書いてありましたが、早々と参加が決定していましたから9月に駅近のホテルを予約できました。


来年は既報の通り、足立区の東京未来大学が会場となるそうです。駅と並んでいるといってもいいほど駅近ですが(ホームの目の前に校舎が見えます)、行きまたは帰り(北千住方面に行く人とそうでない人によって異なる)に線路を歩道橋で越える必要があります。その一方の側が、駅と歩道橋の間の道が「ここは歩行OKなのだろうか」「どこを歩けば良いのだろうか」と思うような感じなんですよね。うまく言葉では説明できないのですが。中学校がもとになったキャンパスなので、まさに学校校舎という感じの建築物と、新築の建物とが混在していた記憶があります。


学会の後からの一週間は、授業で忘れ物やミスが必ず出る期間です。いくら注意しても、忘れ物はなくせてもミスは必ずしてしまいます。来週はミスなく仕事ができるか、チャレンジですね・・・。

2018/06/17

テーセウスの船の命題

アイデンティティーに関する論文を読んでいると、物に関するアイデンティティーを扱った論考も珍しくありませんでした。

一つの定番の命題として「テーセウスの船」がありました。


テーセウスの船があった。度々修理を重ねて、板を交換しながら使い続けているうちに、とうとう全ての板が新しいものになった。この船は、元のテーセウスの船と同じと言えるか。
一方で、修理の際に取り外した板を再利用して、同じ形の船を作っていったとしたら、修理を重ねた船と、リサイクル板の船と、どちらがより、元々のテーセウスの船と同一であると言えるか。


似たような例として、イタリアのポンテ・何とかと言う橋の命題もあります。橋を再建したら元の橋と同じものなのか?といったようなことです。
また、人物に適用した例として、メトシェラの命題というのもよくありました。


メトシェラ(旧約聖書の人物で、箱舟で有名なノアの祖父)は969年生きた。すると、1歳のメトシェラ=2歳のメトシェラ、2歳のメトシェラ=3歳のメトシェラ、…(以下略)というのは、明確に真であるとも偽であるともいえない。


どちらも、そのものが少しずつ変わっていくので、「transitivity of identity」等と表現されていました。

これを論理ではなく日常生活レベルで考えると、よく観光旅行で見る歴史的建造物や、何かの重要な物(例えば銅鐸や土器等)が、再建・復元であったりした場合に、「何だ、本物じゃないのか」と思ってしまうことがあります。そのような、普段の感覚・感情レベルで言えば、作り直したものや再現したものは、元の物と同じではないと考えられます。
人間のケースに関しても、通常の感覚レベルで考えれば、1歳、2歳と1年単位どころか、1日単位でも、大きく異なると考えられるケースもあります。いや、一瞬で激変するケースもあるでしょう。

論理的には、テーセウスの船は、修理を重ねた方がより元の船に近いとされ、メトシェラの命題は、昨年の自分イコール今年の自分とも、そうでないとも、どちらとも言い難いということになります。

結局は、物であれ人であれ、アイデンティティーはどこに宿るのかという問題になります。テーセウスの船にしても、板は新しいものになっていくとしても、船は継続的にテーセウスが所有し利用しているものであるという属性は同じままで続いていますし、部品を交換しているだけなので、船のデザインや性能等も変わりません。何が同じならば同一とするかという問題に収斂するわけです。

人間に関してはもっと難しく、思考実験として、脳の移植がよく引き合いに出されます。

仮に右脳と左脳が完全に同一の機能をもち、半分でも問題なく生きていけるとすると、自分の脳を半分ずつAさんとBさんに移植し、しかもその身体が自分のクローンであったら、どれが「自分」なのか?(ある論考によれば、「私」の存在は消滅し、別個の存在ではあるが最初は激しく似ているAさんとBさんになる。1つのものが同時に2つのものではあり得ないので、Aさん=Bさんにはならない。別の論考では、AさんもBさんも「私」ではない、とされる。更に他の論考では、AさんBさん共に自分なのであれば、AさんとBさんが同一人物となり矛盾するが、かといってどちらとも選べないので、そもそも、アイデンティティーは重要な事ではあり得ないと指摘。) 脳内の情報を全消去して移植したらどうなるのか? 脳の半分を他人に移植し、自分が死んだらその他人が存在し始めるが、自分が生き続けていたら「自分」はどうなるのか? 自分の脳を自分のクローンの身体に移植したらどうなるか?

なぜかこういったテーマでは、ブラウン氏とロビンソン氏が移植に使われて、ブラウン氏の脳をロビンソン氏に移植してブラウンソン氏ができた、ということにされていました。
ブラウンソンは意識的にはブラウンなわけですが、身体はロビンソンなので、例えばもしブラウンが痩せていてブラウンソンが肥満であったら、ブラウンソンとしては、結構違った自分になった気がするでしょう。少しずつ太っていくのとは違いますので、ある日突然華奢な人が巨体になったら、体型はその人の本質とは関係ないものであるにも関わらず、かなり自己認識に影響を及ぼしそうです。

他によくあったのはSFテレビドラマ・映画のスター・トレックシリーズについてで、スター・トレックに出てくる転送装置を経たら、その人は同一なままなのかというトピックです。
転送装置は、人間を分子レベルまで分解し、目的地に再現することで、瞬間移動とまではいかないまでも、かなりすぐにどこかへ移動できる物で、例えば大型の宇宙船でどこかの惑星に行ったら、着陸船を使わず、艦内から直接その惑星の地表の希望する地点へ行けますし、そこから艦内へ直接帰れます。一旦分解されることになるので、転送機を嫌がるキャラクターもいます。転送機は物にも使えます。スター・トレックの世界で転送機は日常の移動手段ですから、その度に自己同一性が損なわれているとしたら、大変なことになってしまいますが…(笑)。

2018/06/16

日本中世英語英文学会東支部研究発表会・西支部例会合同開催

日本英文学会全国大会から4週間が経ちました。

今日は、日本中世英語英文学会の東支部・西支部合同での学会が津で開催されています。外部からお招きした小栗栖先生による、中世フランスの武勲詩(chanson de geste)に関するお話も学会に先立って行われました。これは是非参加してみたかったですね。小栗栖先生のウェブサイトには、古仏語文法なども置いてありますので、是非。


私は日本中世英語英文学会に関しては、2004年の入会以来、東支部研究発表会は基本的に首都圏開催の時のみ出席し、全国大会は基本的に必ず行く、というふうにしてきました。しかし過去4年間は役員でしたので、東支部研究発表会が首都圏以外で開催されても必ず行かなければなりませんでした。東支部研究発表会だと学会開催は土日ではなく土曜日のみですが、午前中から会議があるので、遠方の場合、金曜日にもう行って泊まっておかねばならず、2泊することに。私の役員任期中、それが2度ありましたので、金銭的に痛かったのは事実です。
ということで、今回、役員ではなくなりましたから、従来の方針に戻って欠席することにしました。我々パートタイマーは学会出席に要する費用は自費ですから。

ただ…学会発表に先立って行われる総会で諮られる、昨年度の決算報告書は私が作った物なんですよね。作った本人がその場にいなくて良いのかという思いはやはりありましたし(会計監査の先生は総会で文字通り一言だけ報告するために北海道からいらっしゃるわけで…)、心苦しい思いではあります。もし、東西合同開催が実現しなかった場合は23区開催の予定でしたから、それであればおそらく出席したのですが。12月には全国大会で愛知県に泊まりがけで行く予定も控えておりますし、今日は欠席とさせて戴きました。

というかそもそもアイデンティティーの命題に関する記事を書こうとしていたのですが、学会欠席の言い訳エントリになり果ててしまいました(笑)。命題に関してはまた新しい記事を書きます。

2018/05/21

日本英文学会全国大会

東京都杉並区の東京女子大学にて開催されました。会長先生の勤務先です。

会場が東京女子大学と知った時まず頭に浮かんだのは、「土日だから中央線快速が西荻に停まらないじゃないか」ということです。ということで、吉祥寺駅からバスというコースを選択しました。

発表の司会者の先生には予め原稿をお送りするわけですが、まあ一週間程度前には差し上げた方が良いだろうと思い、13日に完成するように原稿を大幅改訂して、5訂版ぐらいにはしたでしょうか。ここ最近で矢継ぎ早に読んだ論考を無理矢理反映させて、やっつけ仕事になり、却って中途半端な考察になってしまいました。春休み77日+GW10日、それでもまだこの状況ですから、春休みの過ごし方(研究以外の本も沢山読んだ)を少々後悔しましたが、今更仕方ありません。
30分でおさまる分量になったかもチェックせねばなりませんので、(声はあまり出さずに)読んでみたところ、全く時間が足りません。
Wordの左下のほうに表示されている字数は丁度良いはずなのに、何かズレがあって、結局そこの表示で1400文字ぐらい削らなければならなくなりました。
読み練習(時間足らない)→削る→読み練習(時間足らない)→削る→読み練習(どうにか時間足りそうだ)というプロセスであった為、3回即ち約90分読み上げたことになり、土曜日の授業で喋り過ぎて既に酷使していた喉をすっかり痛めてしまいました。作業が完了したのは日曜の2時半でした。

というわけで、14日月曜日からは、指定医薬部外品ののど飴を大いに活用しながら、極力会話をせずに過ごし、授業でも最低限しか喋らないようにして、「一週間で治るかな?」と思いながら過ごしてきましたが、一向に治らない上に、木曜日の授業でどうしてもかなり喋らねばならない内容だったので、更に悪化し、金曜日には微熱が。そのまま風邪に移行したのかもしれません。
土曜日に頑張って喉をつぶしては元も子もありませんから、土曜日は急遽欠席しました。(懇親会費が・・・。)自信の持てない発表内容でしたが、突然、一番の心配は「30分話せるのか」になり、内容について心配する余裕はなくなりました。
時間配分を決めるために、口だけを動かして無言で読み練習を行いました。


そして日曜日、1時間35分と意外と早い所要時間で東京女子大学到着。まずお馴染みの「凡そ真なること」のラテン語を彫った建物が目の前にあり感激です。
幼い頃訪れたことがあるキャンパスなのですが、もう全く記憶がありません。

発表には今度は医薬品ののど飴と、指定医薬部外品ののど飴と、紅茶のペットボトルとを準備して、(そういえば発表者用のお水はありませんでした)いざ発表開始・・・ともう早くもパニックです。というのも、ストップウォッチが止まっていたのです。
おそらく、ストップウォッチを置き直した時に触ってしまったのでしょう。数十秒のまま止まっているのです。
気持ちとしては「ちょっと待って最初からもう1回!」とやり直したいところです。今からストップウォッチを再開しても意味がありませんし、本当に大パニックになりました。
やや早めのペースで読めば時間が余るぐらいであることは分かっているので、時間オーバーにはならないと思いますが、たっぷり余らせるわけにもいきません。しかも、前日決めた時間配分がパーです。
そこで、原稿に書いておいた予定経過時間を見て、原稿を読み上げながら、そのページにかかる予定の時間を、「このページは3分40秒ぐらいで読む」などと咄嗟に計算して、1ページごとにストップウォッチで計測していく方式にしました。
原稿を読みながら時間計算、そして1ページごとにストップウォッチを押す→止める→クリア、です。
しかし、一体どうしようと思いながら読んでいた最初の2ページにどれぐらい時間をかけたかがよく分からないので、果たしてこの方式で大丈夫かどうかも分からないのです。25分経過のベルが鳴るまでは何も分かりません。
結局、ベルが鳴ると、少し早めに進んだぐらいであったことが分かり、そこで改めてストップウォッチを始動させました。ベルを聞いてからストップウォッチを止める→クリア→再開という手順を踏んでいますから、ストップウォッチが5分を刻んだら時間オーバーです。ベルを聞いてからストップウォッチを始動させるまで何秒ロスしたかはよく分かりませんから、最後はベルが2度鳴るのではないかとヒヤヒヤして、最後の最後だけ早口になってしまいました。とにかく、ギリギリ声が出て良かったです。

質問は身近な方々から戴きましたが、決して頼んでおいたわけではありません。そもそも、今回の発表の内容は、先生のご指導を受けておりませんし、学生のように授業内で予行練習をすることもありませんので、原稿を司会者の先生にお送りした以外は、誰の目にも触れておらず、誰も聞いていなかったのです。100%自分一人で作り上げ、誰の指導もコメントも反映されていない、本当に私が作っただけの内容でした。
ですから、身近な方々がご質問くださったとはいえ、質問者のほうも、初めて見聞きする内容に関して質問を考えて下さったのです。

2015年の中世英語英文学会の発表でもそうでしたが、回答が冗長になってしまったので今後気を付けたいと思います。
今回はとりわけ内容に自信がなかったので、少なくとも調査はこれだけしてあるということを示したくなってしまったんですね。調べるだけなら誰しもできることですが。

聴衆は30名ほどと少なかったのですが、少なくとも、作品のことは面白いと思っていただけたようで、それだけで嬉しく思います。今回扱った作品には実に興味深いポイントが多かったので。

日曜の朝一番というのはなかなか大変でしたが、さっさと終わるという意味では良いですね。リラックスして次の発表2本(後輩によるものと、発表の司会で2度お世話になっている先生によるものと)を聞くことができました。後輩はハンドアウトにGaramondを使用していますが、私も今回は省スペースのため、一部Garamondにしました。で、我々二人とも「ビブリオグラフィー」の所をSmall capitalにしているという(笑)見た目もかっこいいですしね。

今回メインに据えた(英文学会なのに仏語の)Silenceという作品ですが、原典と英語の対訳本エディションが米アマゾンでペーパーバック19ドルほどと、手軽に入手できます。また、学術雑誌Arthurianaでは1997年と2002年にSilence特集号が発行されておりますので、こちらも是非。

終了後はランチ&カフェで5時まで吉祥寺にいました。この頃には少し声も出るようになって、皆さんとたくさん会話ができました。過去一週間極力会話を控えてきた反動か、喋り過ぎてしまい、再び指定医薬部外品ののど飴投入です。ただ、痛みはなくなりました。


月曜日は授業が15:20からなので、今もまだ家でこのようにブログ記事を書いております。そろそろ、身支度と昼食に入りたいと思いますので、このへんで。

そういえば今週は学会役員の先生に直接お会いして、会計業務引き継ぎの予定です。遂に学会の通帳を手放せます!(笑)任期終了から約2か月、漸く業務も完了です。

2018/04/28

10連休

昨日から10連休に入っています。

昨年も書きましたが、「授業が始まった途端に連休になってスタートダッシュを挫かれ、学生もだれてしまうので、GWを休日授業日にして、6月に代休を入れるか、7月早く終わるかした方が良い」とは思うのですが、今年に限り、私にとってこの連休は返上できない、欠かせない存在になっています。
日本英文学会には出たことがないので、「すごい時期に大会があるものだな」と今頃実感しています。新学期はパートにとってさえ結構忙しい時期です。それでもう、すぐに学会があるというのは・・・その前に77日にもわたる春休みがあったにも関わらず、なかなかきついスケジュールです。春休みは作品を読むので結構時間を使ってしまいましたし、先行研究に十分触れることができませんでした。

以前、12月の中世学会で発表した時には、夏休みに準備をするはずが、その前に本の一章となる原稿を書かねばならず、更にがん検診に駆け込む事態になったりしているうちに9月になってしまって、あまり夏休みを使えませんでしたが、それでも学期が2か月あるうちにリサーチも進みましたし、少なくともテーマが面白い(と自分では思っていた)ので、今回の発表に比べれば自信を持って臨むことができました。今回は、発表の仕方(プレゼンテーションスキル的な面で)でカバーする他ありませんね(苦笑)。但し、唯一面白いと言えるのは、作品そのものです。中世の作品で、自分に疑問を持つ主人公、しかも自分の武勇や恋愛などではなく、自分の存在やライフコースに確信が持てない主人公像、さらにそれが女性であるというのはそこまでありきたりではないように思いますし、「自己認識」というテーマから、思いがけず、懐かしの修士論文にまで関連してきました。その辺りのテーマで、日吉図書館で偶然、非常に興味深そうな本も見つけてきました(読む暇はあるのでしょうか?)

読みたい本ややりたい勉強もあるのですが、学会までは読書断ち、語学断ちで頑張ります。

2018/04/07

スケジューリングの力

春休みも今日を入れてあと3日となりました。本当に77日もあったのかと思う程早く過ぎ去りました。
やってもやっても終わらない長い長い春学期が控えています。6月頃には「もうこれ以上働けない」というほど疲れて、ほぼ必ず何らかの人生初の症状に見舞われるので(人生最長の風邪など)今年も心配です。パートタイマーでこれだけ疲れるのであれば、フルタイムになったらどうなってしまうのだろうというのが非常に不安です。


先に学会発表原稿を書いてから研究を進めるという変則的なやり方をしましたが、これはこれで良いところもあったなと感じています。
研究不足のまま字数の充足だけを目標に書いた原稿は当然ひどい出来上がりではありますが、とにかく自分の考えたことが書いてはあるので、一応自分の思考を言語化したところで様々な論文を読むと、ひどいなりに書いたものを多角的に見られて、どんどん考えが深まります。

今では自宅からでも勤務先②の大学図書館のデータベースに接続して学術雑誌に掲載された論文のPDFファイルをダウンロードできますが、このサービスは手放し難いですね。
以前は専任教員・学生のみのサービスだったのですが、非常勤講師にも使えるようになったことで、格段に文献集めが楽になりました。勤務先②の、自宅から近いほうのキャンパスに行くのでも片道700円はかかりますし、このサービスは本当に助かります。
このサービスを、有料でもいいので卒業生が使えるようにしてくれたらいいのにね、ということを以前後輩に言ったら、賛成してくれました。あまりにもデータベースの充実度が他大学と違うので、仮にこのようなサービスがあったら、年間2万円ぐらい喜んで払います。いや、月々5000円でも払うでしょう。それぐらい捨て難いサービスです。
学術的な面以外でも、日常生活において、新聞や雑誌のデータベースも週に複数回使っています。こちらも手放せません。将来勤務先②に所属しなくなって、これらのデータベースが使えなくなったら、日々大きなストレスを感じることでしょう。


さて、77日もあった春休みには、スケジューリングを採用しました。
『できる研究者の論文生産術』でも、とにかく論文執筆のスケジュールを割り振ることが徹底して主張されています。というか、本書の主張はそれだけです。
週4時間確保するだけでも随分違うとのこと。ウイークデーだけを使う前提で、一日48分です。
本書では、時間があれば書けるのにとか皆言うけど、結局決まった時間に毎日TV見たり授業したりしてるじゃないか、というつっこみがあります。同じように、授業時間のように、「論文執筆(文献読みなどの、執筆に必要な作業も含める)の時間」というものを入れて、極力その時間を死守せよというわけです。
アメリカの大学のスタディスキルズのホームページでも、スケジューリングが推奨されていました。
そこで、いろいろ検索した結果、Excelのテンプレートなども試したのですが、結局は、個人的に気に入ったScatteredSquirrel.comのプランナーのうち、一つを選んで、ほぼ毎日使いました。
このデイリープランナーは、早朝6時から夜の12時半まで30分刻みに欄があるので、起床・朝食後、時には30分刻みでその日の予定をたてて取り組みました。

これまで長期休暇中は、専門書・学術雑誌講読などの研究関連の作業をするとそればかりになってしまって趣味ができない、趣味に時間を使うと研究がおろそかになる、という事態が生じていましたが、デイリープランナーを使ったところ、研究対象の文学作品を読み、論文を読みつつ、趣味の語学や読書もできて、充実感がありました。取り敢えずは、書籍や教科書、参考書を15冊読めました。その他、マーフィーの英文法などの練習問題を解いたり、Wheelock's Latinを進めたりもしました。論文は2言語で11本ぐらい読みました。まだまだ論文と専門書を読まなければなりません。来週火曜日から授業が始まるので、学会に向けて、9コマの授業と研究の進展の両立が課題ですが、今年初めて使う教材は3冊と例年より少ないので、何とかなると信じたいです。(笑)とにかく、あとたった1か月少々ですから、全力で頑張りたいです。

このようにデイリープランナーには良い効果があったので、学期中の休日(金土日)にも使おうかなと考えています。授業日(月~木)はひたすら授業準備で終わるでしょうから、予定も何もないという事態になるかなと。
デイリープランナーは一日の振り返りにも有効です。必ずしも予定通りにいかないこともしばしばですし、予定以上にパソコンを使い過ぎたなあ、などと夜に振り返ることができます。



明日は毎年楽しかった学会役員会議です。私は任期満了ですのでもう出席しませんが、決算報告作りという最後の業務はまだ残っています。
とはいえ、今年は出費の件数が少なく、領収書をノートに添付し、出納簿を完成させる作業もあっという間に終わり、検算したところ、自分の作った書類と通帳の数字がぴったり合いましたので、問題なさそうです。あとは、別口座に入っている年会費収入の移動と会計監査を待つのみです。
4年間学会の通帳を持ち続けてきましたので、早く次の先生にお渡ししたいですね。(笑)自宅に学会の通帳があるというのはやはり何となく気になりますし、書類や過去のノートなど結構場所を取るものです。
以前も書いたように、この仕事は、年度末に領収書添付などの作業にちょっと時間を取られるのと、4~6月にゆうちょ銀行のATMに寄ることが増えるというだけのことで、年3回の会議のうち2回は学会当日(つまり、「どうせ学会に行く」という状況)だったので、特に負担になるものではありませんでしたし、何よりいつも会議が楽しかったです。
小規模とはいえ、学会の決算報告が自分で作ったものだというのはちょっと緊張感を覚えることではありましたが、ぴったり数字が合った時の「やった!良かった」という気持ちも達成感がありました。
1年間、領収書を紛失しないように取っておくことも多少の緊張感のようなものがありましたが…
4年間あっという間でしたが、貴重な経験をさせていただきました。お世話になった役員の先生方には改めて御礼申し上げます。

2018/03/05

学会発表原稿執筆

今日は台風接近中としか思えないような天候です。湿度も高く、寒さがゆるんだどころかもはや暑さを感じるような今日この頃です。

5月の学会発表の原稿執筆ですが、量的には先程終わりました。しかし字数を充足しただけです。
何も書けていないのが気にかかって仕方なかったので、とにもかくにも量だけ間に合わせることを第一に打ちましたので、これから大幅に書き直していかなければなりません。
今度扱う作品の主人公の自己同一性はまさしくシュレディンガーの猫のようなものだといえます。
量子力学的自己同一性ですね(笑)。

一日中パソコンに向かう生活は久々ですが、少々目が疲れる気もします。そもそも目の疲れというもの自体基本的に無縁なのですが、年を取ったということでしょうか。博士論文を書いていた頃などは、一日12時間はパソコンがついていましたけれども、特に目の疲れはありませんでした。
曲がりなりにも一旦原稿を書いたということで今日は一度パソコンを閉じて、画面ではなく書籍の紙面に向かいたいと思います。

ところで、今度メインで扱う作品の写本は、見つかっている限り1冊しか残っていないのですが、その写本の内容をとりあえず(その写本を所蔵している英国の)大学図書館のオンラインカタログで調べました。何かの作品を新たに取り上げる時には、必ず写本の中身を調べる癖がついています。当該写本は1911年に、英国貴族の館Wollaton Hallにて、「old papers---no value」と書かれた箱に入っていたのを発見されたとのことです。箱にはイングランド王ヘンリー8世からの書簡も入っていたとかで、no valueどころではありません(笑)。その貴族の館は現在観光できるようで、紹介動画はここにあります。

写本は様々な作品が入ったもので、物語・ファブリオ系の一冊でした。上記大学図書館のオンラインカタログでは、一冊の写本に入っているそれぞれの作品の出版情報も書いてあって非常に便利でした。しかも、その写本を底本にした書籍なのか、同じ作品だけれども違う写本を使ったものなのかまでが明記されていたので更に便利でした。ほぼ全ての収録作品について、まさにこの写本をもとにした校訂版が刊行されているようでした。
ジャンルだけから安易に判断すると、楽しく物語を読む・聴く感じの、娯楽目的の一冊だったのでしょうか。但し、(いつの時代にかまでは書いてありませんでしたが)再製本されているということでしたので、中世人が今残っているままの内容でこの写本に接したとは限らないようです。取り敢えず現時点での収録作品数は18で、そこに83もの細密画(オールカラー)も添えられています。短いファブリオ以外は全ての作品に細密画が入っているようです。収録作品の言語は一言語だけです。

2018/03/03

新刊情報―The Invention of Race in the European Middle Ages

 
Geraldine Hengの研究書は以前記事にしたと思いますが、今度このような研究書(ハードカバー、現在日本のアマゾンだと5770円)が出るようです。表紙もかっこいい感じでインパクトがあります。
「人種」「人種差別」といった観念は現代の産物であるという考え方を問い直す一冊のようです。非常に興味深そうな一冊ですが、購入を検討する価格ではありません(苦笑)。研究書は内容も古くなってしまいますし、研究文献よりも作品の本の購入を優先しています。
 
ところで、来年度ご定年と思い込んでいた先生が、実は早生まれでいらっしゃったために今月を以て定年退職となるということを先週初めて知り、大変驚いている次第です。なぜ、皆一年以上前から最終講義の話をしているのだろう?とかねがね不思議に思っておりました。専門分野は違いますが、学部時代、いえ、厳密に言えば高校時代から今までお世話になりました。本当にありがとうございました。

2018/02/08

Silence読了

5月の学会発表で取り上げる作品を、漸く一昨日読み終わりました。
Silenceは13世紀フランスの、韻文で書かれた物語で、同名の女性主人公のストーリーです。

<あらすじ>
イングランド王Evanはノルウェー王女Eufemeと結婚する。王の臣下Cadorはドラゴン退治の褒美として、コーンウォール伯の娘Eufemieと結婚する。
ある伯が双子の姉妹と結婚して、どちらが長女をとるか(相続狙いで)争った挙句相討ちになってしまったため、こんな理由で伯たちを失った王Evanは女性の相続を禁ずることにした。
そんな中、CadorとEufemieに子供ができる。相続ができるように、例え女の子が誕生しても男の子として育てることに決め、結局女児が誕生したため、Silenceと名付け、男児のふりをさせて養育。

成長したSilenceは王Evanの許に出仕するが、そこで王妃EufemeがSilenceに恋してしまう。Eufemeの誘惑をはねつけるSilenceに怒った王妃は、「Silenceに迫られた」と嘘を言って夫である王に復讐を迫る。仕方なく王は手紙を持たせてSilenceをフランス王の許へやることに。
しかし、王妃は自ら、Silenceを死刑に処すようにと手紙に書いて王の書簡とすり替えてしまう。

フランス王の許に到着したSilenceだが、フランス王は書簡を見て葛藤し、臣下の伯たちの「こんな手紙をイングランド王が送るでしょうか?」との助言により、Silenceが持参した書簡を同封した手紙を王Evanへ送付。

イングランド王Evanはフランス王からの手紙を読み、同封されていた自分の手紙を見て、自らの書記を問い質し、王妃の仕業と気付くが、面目を保つためさしあたり他人のせいにしておく。

やがて騎士叙任されたSilenceは武勇に優れ、イングランド王に対する反乱の戦が起きると王Evanに呼ばれ、王を助ける。再びSilenceに迫った王妃は拒まれた為、王に「Silenceに迫られる」と訴え出て、国王夫妻は「女性の策略によってのみ捕らえられる」という魔術師マーリンを連れてくるという無理難題をSilenceに課すことにした。

しかしSilenceは実は女性なので結局上手くいき、マーリンが全てを暴露して、王妃は四つ裂きの刑に。女性の相続も再び認められ、Silenceは王Evanの妃となった。





ということで、大筋はありがちな感じではありますが、NatureとNurtureが普通に登場人物として出てきて互いに喧嘩したり、言葉遊びのようなところがあったり、(当時のミソジニー伝統に比すれば全く大したものではありませんが)女性批判があったり、当世批判が結構あったり、Silenceに迫るイングランド王妃とSilenceの母親のコーンウォール伯令嬢とが酷似した名前であったり、色々と興味深い点が多く、是非多くの方に読んで欲しいと思った作品でした。文学研究において様々なアイディアを考えるのが得意な人なら、かなりの材料が見つかりそうです。

本作はマーリンが登場し、重要な役割も果たしますが、円卓の騎士やアーサー王自身が登場するわけではないので、「アーサー王伝説」のくくりには入れられない気がします。聖杯も勿論言及されません。
とはいえ、マーリンが、「靴買ったってあの人すぐ死ぬのに」と予見した有名なエピソードがなぜか入っている他、Silenceがマーリンを捕らえる時に、マーリンの死を求める理由として「私の祖先(=アーサー王の母イグレーヌの夫)を殺したから」と述べて、Silenceがアーサー王と一応遠縁であるということになっています。

2017/12/16

日本英文学会での発表

来年の日本英文学会で発表することが決定しました。日本英文学会には出たことがないので、発表内容以前に「集合時刻なんてあるの!?」レベルの状況ですが・・・一体どうなることか。大きい学会ですし、少しでも良い内容になるよう今から頑張ります。

実のところ、長年温めていた(自分的に)一番良いトピックは日本中世英語英文学会全国大会で既に発表してしまいましたし、当面学会発表する心積もりは無かったのですが、急遽発表することになりまして、他の原稿の締め切りが迫る中で1か月以上必死に考えて、夢の中でも考えて、パニックになるぐらい考えましたが、思いつかない時は思いつかないものです。毎年スクリーンショットしてある、International Medieval Congress(英国リーズ大学で毎年7月に開催される中世分野の国際学会)のテーマ(毎年、学会全体としての大枠の主題があり、例えばこんなトピックで応募してみては、というお題が毎年沢山示されます)を何年分も見直し、これまで読んだ学術雑誌掲載論文(180本ぐらい)のメモを全部読み直してもまだ思い浮かばず、結局、今度のInternational Medieval Congress 2018のトピック提案の冒頭にあった
  • personal memory, self-fashoning, and identity
と、西洋中世学会学会誌掲載の新刊紹介の為に2011年に読んだ本に収録されていた論文からヒントを得て、これまでに扱ってきた作品を中心に据えて―つまりはその結果としてテーマはありがち、作品は今までの自分の学会発表で使ったもの、という、オリジナリティも新鮮味もないような酷い内容が出来ましたが、今の自分に締切日までに出来たのはそれだけだったので、致し方なく提出し、「これだったら落とされるんじゃないかな?」と思っていたら通ってしまったという次第であります。

会場は東京女子大学です。今度の会場はどこかと尋ねられて東京女子大だと答えると、決まって「あ、じゃ、近いですね!」等と返ってくるのですが、私にとっては寧ろ遠いです。東京女子大学に行ったことはあるのですが(1980年代に!)、その時は車で行きましたし、今の家から電車で行ってどれぐらい時間がかかるのかは分かりません。おそらく、1時間半以上2時間未満ぐらいだと思うのですが、土日は中央線快速が西荻窪駅に停車しませんから、一旦吉祥寺まで行ってからバス(徒歩でも行けなくはありません)ということになりますし(各駅停車に乗り換えるのも面倒ですし)、かなりの時間がかかりそうです。いや、今調べてみたら意外と1時間35分ぐらいで行けそうです。

それにしても、ここまで急拵えの内容ですと、自信が持てるのは発表の仕方(プレゼンスキル的な面)だけです。内容については、もはや、取り繕うという表現が合っているような感じになってしまいますが、現在のままですと、「二次文献で既にこういうことが研究されていて、特に私もそれに異存はない」という程度になってしまいますので、本当にどうにかしなければという。
悪い意味で記憶に残る発表、というのは避けたいところです。

このように不安ばかりですが、今後数か月の間にどこまでまともな内容に出来るかというのが逆に楽しみでもあります。これから初めて読む作品も扱いますからね(笑)。


ところで、そんなことより期末試験を作らなければなりません。問題自体は3コマしか、印刷・ホッチキス留め・折りは1コマしか出来ていません。(但し、印刷は年明けで十分間に合うコマもあります)
一方、シラバスは例年になく早く書き、既に「あと2コマ」という状態です。

2017/12/03

日本中世英語英文学会全国大会

この土日に、池袋の立教大学にて開催されました。

立教大学はほとんど訪れたことがないため、道順を確認しておこうと思ったのに、その作業を忘れたまま外出してしまいましたが、「西口を出て大通りに沿って行って交番の所で左」ということだけは覚えていたので、この道で良かったかな?と微妙に不安を感じつつも無事辿り着きました。
しかし、1、2回通っただけであるために、肝心の立教通りの記憶が一切なく、道が合っているかどうか最も不安だったのが立教通りでした(笑)。こんな道あったかな?と思ってしまいました。

それにしても、そこらじゅうで多くの人がスマホを構えている、それこそインスタ映えしそうなキャンパス。本当に綺麗なキャンパスで実に羨ましいですね。日本の大学ではないかのようですが、広大な敷地ではないのでアメリカの大学風という感じでもなく、何と表現したら良いのか分かりません。
立教と言えば必ず出てくる、つたのからまる建物以外にも結構レンガの建物があるんですね。

土日とも、研究発表の同じ部屋に居ました。教室の照明がやや暗かったのが気になりました。

研究発表はどれも興味深く拝聴致しました。
いつも学会に出ると、発表に加えて学会員(学生含め)との交流を通じて刺激を受け、頑張らなければという気持ちが物凄く湧いてくるのですが、今回はそのような気分になれませんでした。それは、研究発表のせいでは全くありません。発表が良くなかったということはなく、ただ単に、自分が一体何をやっているのだろうという気持ちにとらわれたままでした。
キャリア街道を邁進しているわけでもなく、かといって子育てに専念しているわけでもない。良い研究テーマは既に発表してしまって、現在取り組み中の(自分にとって)面白いトピックもない。その時書いたように、夏~秋には1か月以上テーマを考えに考え続けましたが、良いものは一つとして思い浮かびませんでした。
作品を読むのは今でも非常に楽しいのですが、それは研究とは関係ない話―単に私が読書好きだというだけの話です。



1日目は、どうしても観たい番組があったので懇親会を欠席して帰り(去年など、懇親会費だけ払って出ていません)、2日目の今日は会議で9時に登校。中途覚醒後二度寝出来なかったので、今日は実質5:40起きです。
大学まではdoor to doorで1時間20分で着けたので、イメージ程遠くはありませんでした。
役員としての会議も一旦はこれで最後となりました。「一旦は」というのも、おそらくそのうちまた何らかの役員にスカウトされることもあるだろうからです。役員というのは大体、現役員の知人の中から選ばれていくわけですし、そもそも学会に来ているメンバーに依頼をするわけですから。但し、出来れば、非常勤のうちは一寸ご遠慮させて戴ければありがたいです。
そういえば、非常勤の役員に交通費を支給しようという話になっているようですが、非常勤であっても、自腹である事には変わりないとはいえ、それが大きな負担にならないケースもあるのではないでしょうか。けれども、独身限定、とする訳にもいかなさそうですし、少し複雑な思いでもあります。


月曜日は幸い、15時過ぎに出勤するので、今日は土日の疲れを少しでも取りたいと思います。


とはいっても、冬休みに入る前に期末試験を―内容だけでなく物としても―作っておかねばなりません。年明けすぐ期末という曜日もありますので、年内に準備しておかなければ間に合いません。印刷・ホッチキス留め・折り は相当の時間を要しますから、少なくとも来週から印刷等を始めなければなりません。パートタイマーにとっては年度末が近づいて参りました。

2017/11/03

学園祭休み

非常勤先の2大学で、今週学園祭が行われるため、今週は水曜から全部休みです。

抱えていた締切2つも終わりましたし、古仏語著述の前書き(もちろんここは現代仏語で書かれている)をゆっくり読んでいますが、19世紀に出版された校訂版であるせいか、前書きが既に難しいのですが・・・。(苦笑)
ある意味では「現代仏語」ではありませんからね(笑)。
まだ10ページしか読めていませんが、電子辞書の検索履歴は既に500を超えました。
一体いつ本文に辿り着くのかという情けない状況です。(そして、本文が解る自信もありません)



それにしても、つい先日今年度が始まったように思いますが、もう11月。読書の秋、芸術の秋などと言っているうちにもう冬が近づいてきましたね。まだまだ先のことと思っていた日本中世英語英文学会全国大会も早くも1か月後に迫りました。
今学期はこれまでせわしなかったので、今月は少しゆっくりと勉強や授業準備に取り組みたいと思います。

2017/10/22

新しい研究

8月末から考え続けてきた新たな研究テーマですが、一旦設定してみたところ、あまりにも反証が多過ぎて酷すぎると思い、また考え直しました。が、これもまたオリジナリティが殆ど無い。
実験や仮説、データ等とは無縁の分野で良いテーマを見つけるのは至難の業です。まあ何とか形に出来ればと思いますが。以前から気にかかっているフランス語の作品をどうにか取り込めればと思っています。英文学の研究なのに、フランス文学の作品を取り上げるように強引に持っていく感じになってしまいました。(笑)どうなることかという感じです。

今学期は春学期から続く9コマを担当しながらも、超特急で研究書を一冊読了したり、大学院時代に読んだ文献をひっくり返したりと、かなり研究面にも時間を使う学期になっていて新鮮です。いや、「新鮮」ではいけないのですが…。
必要があって大学院時代の授業関連のWordファイルを外付けHDから取り出して読んだのですが、今振り返ると凄い事を勉強していたなと。Geoffrey of VinsaufのPoetria novaとか。書簡術などもお馴染みのトピックですし。

今度の日本中世英語英文学会全国大会では馬に関する発表がありますが、動物も前々から気になっているテーマではあります。中世のペットの論考でUCLから博士号も出ているのですし、中世ヨーロッパには動物寓話集(bestiary)というジャンルの著述もあるわけですから、実はしっかり研究することは十分に可能なテーマ。実際、私の学位論文に対する英国の研究者からのコメントにも、動物が言及されていました。
物語中では子供たちをさらう動物もいます。Sir Isumbrasではライオン、豹、ユニコーンに、Octavianではサルとメスライオンに子供たちがさらわれますが、Sir Isumbrasの場合は後に成長した子供たちがそれぞれの動物に乗って戻り、戦いの勝利に貢献します。
中英語ロマンスにおいて、取り敢えず単にストーリーの上で印象に残る動物はやはりYwain and Gawainに出てくるライオン(どこまでもYwainを助け、支えてくれる)と、Bevis of Hamptonの馬Arundel(忠実な馬で、最期は主人公夫妻を追うように死去)です。ペットではありませんが、大事にされ、主人公の支えになってくれている動物たちです。
先述の英国の研究者に、ロンドンでの学会発表のついでに大英図書館でお会いした時は、鳥獣戯画の扇子を差し上げたところ、自分が動物に関心があることを知っているからだよね、appropriateなギフトだ、と仰っていただけました。
但しクイア理論なども積極的に取り組まれている先生のご関心は「interspecies desire」。ミノタウロスみたいな…いや、違いますか。


早くも11月が近づいてきました。11月の勤務日数は何と15日。月のきっかり半分は休みということです…。今月締切を二つ抱えているので、そして11月はプレゼンクラスのプレゼンが始まり、1コマ分授業準備がなくなるので、来月になったら時間的余裕が出来ます。先ずは中世フランス語のtreatiseに挑戦してみようと思っています(指導教授であった先生に前々から言われている作品ですので)。中世フランス語の授業は大学院で履修はしたのですが、まだまだです。そんなところに、思わぬところから、古仏語文法がフリーでDLできる学者のサイトを紹介され、DLさせて戴きました。
ところで、読もうと思っているそのtreatiseは、ネイティブではなく、学習したフランス語で書かれたもののようです。このこと自体が興味深いですね。中世の語学学習や、何語で書くかという選択については関心がありますし、この前読み終わった研究書でも触れられたテーマですから。

2017/10/07

研究書読了

夏季休業中に読もうと思っていた本が秋学期初日に届きました。
前回の記事に書いたように、秋学期初日前日になって授業準備の進捗度を確かめたところ、なんと翌日の授業の中に準備ゼロのコマがあることが20時台に判明。大急ぎで準備をしました。
さしあたり秋学期初日(水)、そして2日目(木)の授業を終えた9月22日(金)から本書を読み始めましたが、9コマの授業を行いながらだとなかなか時間が取れない上に、自分の研究のために読む本ではないので、個人的に気になった場所だけメモを取れば良いというわけにもいかず、ほぼ全ての内容をノートにとりながら読むのでますます時間がかかります。結局今日読み終わりました。

 

ノートは結局46ページにも及びました。

自分の研究に直結する内容の研究書ではなく、扱われている時代以外は完全に専門外の本だと思って読み始めたのですが、思った以上に予備知識がある内容で、博士論文で触れた内容とも多少重なるところもあった上に、個人的にも興味がある外国語学習や中世の女性に関するトピックもあって、ワクワクした気持ちで読んでいける本でした。
「Whilst・・・」の文が多く、譲歩が多いのが気にかからないでもありませんでしたが、扱う時代とテーマの特性上仕方ない面もあるでしょう。
観念的ではなく具体的な内容だったので分かりやすかったですし、(理解できたからこそここまで大量にノートがとれたわけで…)非常に面白い本でした。
具体的な書名につきましては、機会があれば改めて紹介させて頂きます。

2017/08/30

論文読み

夏休みもあと3週間半になってしまいました。

Writing for ArtEmpire of Magicを読了後、夏休みのメインとなるはずであったプロジェクトが始められないので、しかしいつ始められる状況になってもおかしくないので、何か本格的な作業を始めてしまう気にもなれず、すぐ終わる作業即ち雑誌論文読みでもしようと思い、Empire of Magicの参考文献表から見つけた興味深そうな論文を3本DLしました。

しかし、そのうちの1本は既に読了しており、もう1本は既にDL済みであったという情けない結果になりまして、自分でも少々不安になりました(苦笑)。
というわけで2本の雑誌論文を読みましたが、当然すぐ読み終わるので、また手持無沙汰に。仕方ないので語学やTESOLの勉強をしています。

そろそろ学会発表もしなければという感じですが、捻り出そうにもなかなかトピックが思い浮かびませんね・・・

2017/08/17

Empire of Magic読了

Geraldine Heng, Empire of Magic: Medieval Romance and the Politics of Cultural Fantasy (NY: Columbia UP, 2003)


以前、フランスのアマゾンから購入したことをここに書いた本ですが、春休みの終わりに読み始めた為、70頁ぐらい読んだところで学期が始まってしまいました。
というわけで残りを読んだのですが、残り230頁ぐらいであったにも関わらず、生来の驚異的な集中力のなさにより、10日間ぐらいかかってしまいました。毎日文献を読んでいるとどんどん目が悪くなるのが困りますね。かといって読書をやめるわけにもいきませんし。
註が160頁もあるため、本全体の分厚さの割に本文の量は普通なのですが、block quotationも少なく、絵や図表もないので、とにかく文字がぎっしりでした。研究書は必ずしも読んで楽しい本ではありませんから、二次文献を読むのは何年経っても苦しいものです。

但し、本書は中世の文学、旅行記、歴史書、文化、戦い、中世から現在に至る人種問題、など多様な分野に関する広範な読書に基づいて書かれた興味深い本で、先輩後輩友人知人そして自分の研究分野に関わるテーマが散りばめられていました。


獅子心王と渾名された実際のリチャード1世はあまりイングランドに滞在しなかった仏語話者の王であるのに、ロマンス『リチャード獅子心王』に於いては王は英語を用い、アングロサクソン戦士好みの戦斧をふるう、という指摘は面白いですね。

Alliterative Morte Arthureに関しても一章が割かれていました。本章では特に、歴史と対比させながらの論考が展開されています。兵器の発達や社会の変化により、馬上の騎士の存在が揺らいでいた当時―つまり由緒正しき家系の武勇に優れた騎士がいたところで、大砲に対しては無力なわけで―或いは又、新興階級が経済力を背景に力を増しているなかにあってーAlliterative Morte Arthureは旧来の騎士道、封建主義を擁護する作品であるとHengは主張します。
また、本作に登場する「ジェノバの巨人」についても詳述されています。なぜジェノバなのか。Hengは、当時のジェノバがフランスの同盟国・イングランド参加の十字軍を援助せず・奴隷貿易実施・フランス王室の歳入を上回る税収・第4回十字軍のルートに影響を与えたベネチアとジェノバは敵対…といったことから、ジェノバは「あちら側」且つ経済的な意味で巨人であったのだといいます。

本書第四章のBeauty and the Eastという題名は美女と野獣をもじったのでしょうか(笑)。この章のタイトルを見ただけで、テーマ曲が浮かんできてしまいます。
この章では、女性のキャラクターが扱われていて、チョーサー『カンタベリー物語』のMan of Law's Taleや、Clerk's Taleなどが取り上げられています。これらの作品におけるヒロインたちは、自身のイニシアチブも欲望も、母としての愛を除けば無く、他者によって動かされていきます。しかし、彼女たちの苦境が人々に知れると、皆が嘆いてくれたりして、民衆が一致団結してくれるのです。Hengは、合意の持つ力について指摘しています。

最終章はマンデヴィルの旅行記について。当時、旅行記のオーディエンスはやはり、異国に於いて物凄く奇妙なことや、西欧ではタブーなこと等を期待してしまうので、様々な性行動やら人食いやらといった描写もなされるわけですが、マンデヴィルの旅行記で興味深い点は、こうしたエキゾチックさだけを追求するのではなく、世界の遠隔地におけるキリスト教の痕跡を辿ることで、異郷もそれほどエキゾチックではないことを示して世界地図をラディカルに変えていることです。
また、キリスト教の異宗派に対しても糾弾をせず、各地の文字を紹介することでシステムの共通性を示したりもしています。
このように多様性に対する寛容、柔軟な立場が見られるということです。

本書で少し気になったのは何とスペルミス。電子辞書の、うろ覚えでも引ける機能というのを活用しました。


参考文献表も全て見ましたが、スター・トレックに関する本があったので、そんな言及はあっただろうかとIndexで調べると、序論において、「20世紀におけるトラベル・ロマンスの人種やジェンダー」という点でさらりと述べられていたに過ぎませんでした。
言われてみれば確かに、1960年代という公民権運動の時代の米国において、白人男性だけでなく、ロシア人、日系人、黒人女性までもがメインキャラクターになっているというのは、当時としては考えられないことで、黒人女性はキング牧師に励まされたと聞きます。


さて、夏休みに入ったら読み始めなければならない書籍があったのですが、それがまだ届きませんので、すっかり予定が狂いました。さしあたりラテン語読書会の準備でもしておこうかと思います。