日曜日が締切ですが、昨日提出しました。
単純に、日曜日まで論文集の作業をしていたら、来週の授業の準備をする時間がほとんどなくなり、来週の授業を実施することが不可能になるからです。
昨日提出して、今日は来週の分の仕事をしています。と言いたいところですが、日常でもさまざまなタスクがあり、先程になってようやく授業準備に取り掛かり始めました。
今週は昨日だけだったので、金曜日の疲れが全然違います。昨日も全くきつくありませんでした。
これからますます忙しくなっていきますが、頑張ります。
英語教育と英文学研究
天秤のように、バランスが大事、だけど難しい。
取り組んでいる論文集の原稿の校正、5/10提出締切なのですが、一応終わりました。おかげで6連休がつぶれてしまいましたが…。
校正と言いましても、誤字脱字などの修正だけではなく、多少内容を直しても良いということでしたし、寄稿者たちで集まった会合における議論でも、かなり書き直すような感じの話もありましたので、誤りを指摘された部分は大きく書き直すと共に、アイディアを練り直して、最終段落を入れ替えました。
ただ、組版に影響するほどの大幅な変更はおそらく良くないので、総字数やレイアウトは大きく変わらない範囲にとどめ、同じぐらいの字数で書き直すように努めました。
漢字かひらがなか、アラビア数字か漢数字か、など表記面での統一はややこしいですね。これはもう完全に人によって慣例が違いますし、どの漢字をひらがなで統一するのだったか、どこまで漢数字で書くのか、出版社さんの資料を見ながら書きましたが、当然全ての語彙を網羅しているわけではありませんし、見落としもあるかもしれませんので、悪いですけどここはもう最終的には出版社さんにお任せすることにします。
ただ、原稿を提出しようとしても、「このフォルダにアップロードする権限がありません」と出て弾かれるのですが…。
GWも終わってしまいますが、今週の授業は明日だけなので頑張りたいです。
英語英文学系統で主要な(参考文献表や注の書き方などの)書式は、MLA方式でしょう。MLA方式の書き方ガイドブックは改訂を重ね、現在は第9版となっています。
MLAはModern Language Associationの略ですが、一方MHRAはModern Humanities Research Associationの略です。前者はアメリカ、後者はイギリスの団体です。
従って、イギリス文学専門の場合、MHRA方式も使用されることがあります。今回私が取り組んでいる論文集ではこちらの方式を採用しています。
MLAガイドは第9版ですが、MHRAガイドブックは第4版が2024年に発表されました。MLAのガイドブックは購入が必要ですが、MHRAのガイドブックは公式ホームページで公開されています。
私はこの最新版をダウンロードしてはあったのですが、大して変わっていないだろう、変わっているところは現代ならではの内容(つまり、インターネット上の資料や電子書籍など)だろうと何となく思い込み、中身は見ていませんでした。
しかし、出版地の表記がなくなった、雑誌論文でも「pp.」がつくようになった、雑誌のpart numberも書くようになった、という大きな変更がありました。
これを何と数日前に初めて知りまして、原稿の校正に反映しているところです。
出版地の表記はMLA方式でもすでになくなっているようです。今時、どこで出版されたという情報はもはや意味があまりないだろう、ということのようです。
雑誌論文の「pp.」表記に関しては、MHRA方式では、論文集中の論文は「pp.5-32」のような書き方をし、論文雑誌中の論文は「5-32」のように「pp.」をつけずにページ数を書くという決まりでした。
しかしMHRAはこの相違を「quirk」と表現し、「別々の書き方にする必要はないのではないか?校正も面倒になる」と述べ、全てpp.をつけることに統一したそうです。
雑誌のpart numberというのは、号数です。一般の週刊誌、月刊誌などでも「5月1日号」、「6月号」などがあるように、当然、『Nature』などの学術雑誌も「号」があります。ただ、「2020年6月号」のような呼び方ではなく、第何号、という呼び方になります。例えば、2020年刊行は60号、2021年刊は61号、というようになります。
年に複数回刊行される学術雑誌の場合、季刊なら、例えば春は「55号1」、夏は「55号2」といったようになります。
このように、同じ年の間は同じ号数を振り、そのパート1、パート2、・・・というような番号の振り方をします。
こういった雑誌の場合、春号(パート1)は1~200ページ、夏号(パート2)は201~403ページ、というように年間通しでページ番号をつけていく雑誌もあれば、毎号1ページから始める雑誌もあります。
前者の場合、上の例ですと、「305ページ」と言っただけでパート2であることが分かるため、MHRA方式では「パート2」の箇所は明記しません。後者の例のように、毎号1ページから始まる雑誌の場合のみ、「55:2」のように「パート2」であることを明記します。
それが、今度は何も関係なく、パートの部分まで明記するようになったとのことです。しかも、表記は「55:2」ではなく「55.2」です。
かつてのMLAのように、ゼロから学び直さなければいけないほどの大きな変更ではなかったので助かりましたが、それでも、2002年から親しみ続けてきた形式の変更ですから、驚きと多少の戸惑いはあります。雑誌論文の「パート2」的な部分は、もともとのBibliographyファイル(これまで集めた文献情報を全部書いてあるWordファイルで、48ページにわたります)を調べないと書いてないので、追加で書くのが地味に面倒です。
指定教材以外はPearsonとCengageで揃えました。
今年度は新趣向を凝らし、リーディングのクラスで今までにない傾向の教科書を採用しました。
通常のリーディング教材とは異なり、英文の意味や内容の理解、語彙の増強というよりも、英文の読み方に焦点を当てた教材です。英語圏の大学で学ぶ留学生を想定した教科書で、これから英語で大学教育を受けるにあたって、ネイティブスピーカーと同じ土俵でどのように英文を読みこなしていけば良いのかを訓練する教科書です。担当させていただいている最上級クラスの学生は、発音からしても明らかに海外経験のある人も一部おり、すでにかなり流暢に話したり、相当こなれた英語を書いたりできるので、このような教材を選定してみました。難点はものすごく字が小さいことで、今採用せねばそのうち老眼で採用が厳しくなると思いまして(笑)、カタログの記載ではTOEIC900点弱以上の想定ですが、思い切って採用しました。
本格的な英文がたくさん読めるので、授業準備を進めていたら自分が面白くなってしまいまして(笑)、必要以上に進んでしまった気がします。
ここでボヤくのはもう何度目か忘れてしまいましたが、昨日は名簿づくりに時間を取られました。勤務校②では何の欄もないエクセルファイルまたは単なる一覧表が提供されるだけなので、自分で、名簿の体裁に作り直さなければならないのです。
また、音声CDづくりも結構時間を取られました。勤務校③では新校舎でもメディア環境があまり整っておらず、CDラジカセで音声を流さなければならないのです。
これまで言及してきた論文集ですが、数万円の出費が発生することになりました。正直なところ、ものすごく痛いです(1コマ分の月収を超えるわけで…)。まあ、自分にも責任の一端があるわけで、致し方ありません。
ずいぶん更新の間が空いてしまいました…。
1日に、寄稿させていただいている論文集についての集まりがあり、私が書いた章も議題となりました。原稿も、あるいは教科書などもない状態で自由にしゃべらなければならないうえに、他の方の章にもコメントを求められるので、人前で話すのが不得手な私はけっこう緊張してしまい、1日までの一週間はお腹の調子も悪かったです(笑)。
会場は御茶ノ水で、家から遠くはなく、助かりました。1月の期末試験以来の電車乗車だったかと思います。
他の方の章にコメントすることに必死になっていたので、なんと、自分の章は読み返さずに参加してしまいまして、「私は何て書いたっけ?」という状態になってしまいましたが…。
ちょっと言い訳をしますと、先行研究として十字軍の観点からの読みがある、という箇所は、提出した後にリサーチをした部分からの内容になっています。
つまり完全に後づけです。
以前ここに書きましたが、締切を5か月勘違いするという(自分で言いますが)まったく私らしくない、ありえないミスのせいで、論文執筆を先に行い、調査を原稿提出後に行うという訳の分からないことになりました。
ですから、いったん全部完成したものに、後から読んだ文献から得た情報を無理やりねじ込んだので、ちょっと浮いてしまっているというか、全体の論考に果たして沿っているのか?という状況になっていると思います。
十字軍的解釈はちょっとどうなのだろうか?という流れにしてねじ込んだのですが、むしろ十字軍的解釈に沿う方向にしては?というコメントもいただきました。
ただ、「先行研究でこういう解釈があります、そして私もまあその通りだと思います」という流れになってしまうのもどうなのでしょう?
ところで、前回の記事に紹介したCrónica de flores y blancaflor(著者の公式ホームページにPDFが置かれていた)ですが、海賊版的なものではなく著者公認のPDFですし、せっかくだからとダウンロード&プリントアウトさせていただきました。
もちろん、本文が読めるわけではないのですけど、序論は英語なので、さしあたりそこだけ読みました。
シラバスをようやく先程書き終えました。シラバス作成を完了していない状態で年を越したのは久々かもしれません。もはや扱う教材も「ネタ切れ」のような状態になってまいりまして、使用教科書自体がなかなか決まりませんでした。
勤務校③は、使用教科書は今年度と違うものの、科目そのものは同じですので、今年度のシラバスを一部コピーしつつ書いていました。そして、一通り書き終わったところで「保存」を押したところ、「複数タブを開いている」との判定により、書いた内容が全て消えてしまいました。しばらく動けませんでしたね...今年度のシラバスは、誰もが見ることのできる画面で、来年度のシラバス執筆は、ログインが必要な画面でしたから、複数タブで作業しているという風に判断されるとは思ってもみませんでした。
期末試験に関しては、印刷・コピー的な意味でも作り終わりました。ここ最近はパンフレット形式にしているので、ホチキス留めの手間も省け、処分する時も下処理なしで業務用シュレッダーにかけられます。学生にとっても、A3の大きな紙をめくりながらよりも、A4サイズの冊子体をめくりながらのほうが見やすいと思いますが、どうでしょうか。
ところで、研究関連の話ですが、中英語ロマンス『フローリスとブランチフルール』には、各国語のバージョンが存在します。その中でも、以前から何となく気になり続けている通称「クロニクル版」のスペイン語バージョンについては、2015年の記事に書きました。編者David Arbesú氏のホームページを久しぶりに見てみますと、このエディションのPDFがフリーでダウンロードできるようになっていました‼
氏はアメリカの大学に勤務していることから、英語もお分かりになるはずですし、翻訳を出していただけたらなと当時から思っています。
今週末、明治大学(御茶ノ水)で開催されます。ドアtoドアで1時間弱で着く、私にとってはこれまででも最も家から近い会場のひとつで、大変助かります。
とはいえ、仕事が全然終わらず、うかがうのは難しそうです。授業準備は何とかなりそうですが、来年度教材の選定に手をつけてすらおらず、期末試験の作成も年賀状の準備もあります。
先程ハンドアウトが送られてきましたが、前日にデータが手に入っても、家にプリンタが無い私は困ってしまいます。わざわざセブンイレブンでプリントアウトする気にもなれませんし、データのまま会場で閲覧しようと思ったらデバイスはスマホしかありませんが、スマホサイズの画面でハンドアウトを見る気にもなれません。
家にプリンタが無い理由は、別居した親が別宅に持って行ってしまったからなのですが、自分で買うにしても置き場所もありませんし、よく考えてみると、どうしても必要な時のみコンビニでプリントアウトしたほうが、総合的にはコストが低く抑えられることが分かったということもあります。
論文原稿は昨日が締切日でしたので、何とか提出しました。総字数はほぼ同じまま、内容を大幅に修正しました。前回書きましたように、論文を書き終わってから先行研究を読むという、本来とは逆の作業手順を踏みましたので、今回の修正では、先行研究に反論するような形にしました。しかし、今回も、22時か23時ぐらいになってから新たな引用(しかも中英語を自力で訳したもの)を追加するなど、直前までバタバタしておりました。
結局、自信の持てる内容には至らず、編者の先生方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もちろん、こんなことならもっと早く取り掛かれば済む話なのですが、最近は燃え尽き症候群かのようにいろいろなことが手に付かず、お陰で普段の授業準備も間に合わなくてパニックになりそうなぐらいギリギリでした。別に燃え尽きてはいないので、原因が分かりません。もう更年期障害なのかもしれませんね…。8月はほとんど無駄にしてしまったと感じます。
また、あまりにテーマが尽き過ぎて、何を書いたらいいか分からない状態だったことも、取り組むのを億劫にした要因の一つでした。無い内容を絞り出す苦労から逃避するために、延々と動画を見てしまったりしました。その証拠に、原稿を提出し終わった今日は一本も動画を見ていませんし、そもそも見ようという気持ちにもなりません。いかに動画視聴が逃避行動だったか実感している次第です。集中力も、今日はこれまでよりあります。集中力のなさも、結局は逃げだったということでしょうか。よく、「テスト前日についついマンガを読破してしまった」というような話を聞きますが、私はそのような逃避がひどい気がします。
夏休みはちょうどあと3週間。しばらくはちょっと、やりたいことをやらせて頂きたいです。
夏休みに入って、雑誌論文を5本読みました。これは、今月末までに修正稿を提出する論文のためのリサーチです。
以前から書いている通り、私は論文の締切日を5か月ほど間違えていましたので、締切日の半月前に締切日を知る→リサーチなしで、半月で強引に原稿を完成し4月に提出→数日の修正を経て改めて7月に原稿提出→夏休みに入り、この論文に向けてのリサーチを始める
といった具合に、完全に本来の作業と順序が逆になっています。最終稿に向けてリサーチを初めて行っているのです。
私が取り上げている作品は決してマイナーなものではありませんが、意外と研究が少ない・・・というのは私が知らないだけなのだろうか?と思っていたところ、読了した論文でも「研究はあまりなされてこなかった」との指摘があり、ある意味では一安心しました。
論文が完成してから調査を始めるというのは考えられない話ですが、ただ、ひとつメリットも感じました。いったん曲がりなりにも自分の考えたことはすでに論文という形で表現されているため、それを踏まえたうえで二次文献を読むと考えが深まりやすいのです。普通はまず文献を読んで、それから自分の言いたい内容を考えるのですが、それよりも考えが深まるように思いました。リサーチなしで論文を書いたため、よく言えば先行研究による先入観がない状態ともいえます。「皆はAやBと主張しているが、私はどうしようか」では何も出てきませんが、「私はAと考えたが、皆はBやCと考えているのか。なるほど、そういう見方もある」という思考になります。
7月に出した原稿は、締切日の23時台になってから突然新しい内容を書き加えてしまい、むしろ内容が悪化したように思うので、今週、なんとかそのあたりを直せるだけ直して、恥のない程度の内容にはしなければと思います。