2017/08/17

Empire of Magic読了

Geraldine Heng, Empire of Magic: Medieval Romance and the Politics of Cultural Fantasy (NY: Columbia UP, 2003)


以前、フランスのアマゾンから購入したことをここに書いた本ですが、春休みの終わりに読み始めた為、70頁ぐらい読んだところで学期が始まってしまいました。
というわけで残りを読んだのですが、残り230頁ぐらいであったにも関わらず、生来の驚異的な集中力のなさにより、10日間ぐらいかかってしまいました。毎日文献を読んでいるとどんどん目が悪くなるのが困りますね。かといって読書をやめるわけにもいきませんし。
註が160頁もあるため、本全体の分厚さの割に本文の量は普通なのですが、block quotationも少なく、絵や図表もないので、とにかく文字がぎっしりでした。研究書は必ずしも読んで楽しい本ではありませんから、二次文献を読むのは何年経っても苦しいものです。

但し、本書は中世の文学、旅行記、歴史書、文化、戦い、中世から現在に至る人種問題、など多様な分野に関する広範な読書に基づいて書かれた興味深い本で、先輩後輩友人知人そして自分の研究分野に関わるテーマが散りばめられていました。


獅子心王と渾名された実際のリチャード1世はあまりイングランドに滞在しなかった仏語話者の王であるのに、ロマンス『リチャード獅子心王』に於いては王は英語を用い、アングロサクソン戦士好みの戦斧をふるう、という指摘は面白いですね。

Alliterative Morte Arthureに関しても一章が割かれていました。本章では特に、歴史と対比させながらの論考が展開されています。兵器の発達や社会の変化により、馬上の騎士の存在が揺らいでいた当時―つまり由緒正しき家系の武勇に優れた騎士がいたところで、大砲に対しては無力なわけで―或いは又、新興階級が経済力を背景に力を増しているなかにあってーAlliterative Morte Arthureは旧来の騎士道、封建主義を擁護する作品であるとHengは主張します。
また、本作に登場する「ジェノバの巨人」についても詳述されています。なぜジェノバなのか。Hengは、当時のジェノバがフランスの同盟国・イングランド参加の十字軍を援助せず・奴隷貿易実施・フランス王室の歳入を上回る税収・第4回十字軍のルートに影響を与えたベネチアとジェノバは敵対…といったことから、ジェノバは「あちら側」且つ経済的な意味で巨人であったのだといいます。

本書第四章のBeauty and the Eastという題名は美女と野獣をもじったのでしょうか(笑)。この章のタイトルを見ただけで、テーマ曲が浮かんできてしまいます。
この章では、女性のキャラクターが扱われていて、チョーサー『カンタベリー物語』のMan of Law's Taleや、Clerk's Taleなどが取り上げられています。これらの作品におけるヒロインたちは、自身のイニシアチブも欲望も、母としての愛を除けば無く、他者によって動かされていきます。しかし、彼女たちの苦境が人々に知れると、皆が嘆いてくれたりして、民衆が一致団結してくれるのです。Hengは、合意の持つ力について指摘しています。

最終章はマンデヴィルの旅行記について。当時、旅行記のオーディエンスはやはり、異国に於いて物凄く奇妙なことや、西欧ではタブーなこと等を期待してしまうので、様々な性行動やら人食いやらといった描写もなされるわけですが、マンデヴィルの旅行記で興味深い点は、こうしたエキゾチックさだけを追求するのではなく、世界の遠隔地におけるキリスト教の痕跡を辿ることで、異郷もそれほどエキゾチックではないことを示して世界地図をラディカルに変えていることです。
また、キリスト教の異宗派に対しても糾弾をせず、各地の文字を紹介することでシステムの共通性を示したりもしています。
このように多様性に対する寛容、柔軟な立場が見られるということです。

本書で少し気になったのは何とスペルミス。電子辞書の、うろ覚えでも引ける機能というのを活用しました。


参考文献表も全て見ましたが、スター・トレックに関する本があったので、そんな言及はあっただろうかとIndexで調べると、序論において、「20世紀におけるトラベル・ロマンスの人種やジェンダー」という点でさらりと述べられていたに過ぎませんでした。
言われてみれば確かに、1960年代という公民権運動の時代の米国において、白人男性だけでなく、ロシア人、日系人、黒人女性までもがメインキャラクターになっているというのは、当時としては考えられないことで、黒人女性はキング牧師に励まされたと聞きます。


さて、夏休みに入ったら読み始めなければならない書籍があったのですが、それがまだ届きませんので、すっかり予定が狂いました。さしあたりラテン語読書会の準備でもしておこうかと思います。

2017/08/05

Writing for Art読了

以前ブログ記事に書いたWriting for Artを漸く読み終わりました。
その時書いたように、結構新しい本なのに一部袋とじ状態になっていた為、ペーパーナイフで切り開きながら読むことに。一体いつの時代の本だという感じでした(笑)。

 
このペーパーナイフがまた中世っぽい感じがします。確か親の海外出張土産で貰った物だと思うのですが、物語世界に空想が飛んでいくようなデザインです。
 
この本では、notional ekphrasisつまり文学作品中に於いて描かれている美術品が架空のものである場合はあまり扱っておらず、美術館で見られるような、実際に存在する作品を描いた文学作品(主に詩)を取り上げていましたので、又、時代も近現代のことでしたので、私自身の研究に直結する内容ではありませんでした。例えば、ブリューゲルの絵画『雪中の狩人』について書いた詩であるとか、誰もが知るモナリザについて書いたものとか、そういった具合です。PRBも結構取り上げられていました。
 
完全に物語世界の中だけに於けるエクフラシスと比較すれば、このように美術品の現物があると、それについての詩も美術品の鑑賞に影響するので、相互作用が見られるのが大きな違いの一つです。詩のほうを先に読んだ人々の中で、絵のほうも見てみたいという機運が高まって、実際に絵画を見てみると、詩から受けた印象を既に持っている状態で―即ちある種の先入観をもって―絵画を見ることになります。詩の解釈や印象も人それぞれでしょうから、「あれ、こんな絵だったのか」とか、「思った以上に色彩がないな」とか、何がしかの意外性を感じたり、又は、「詩に描出されている通りの絵画だ」と納得する気持ちを感じたりするかもしれません。中には、この絵画を見たら皆この詩を思い出さずにはおかない、といえるほど密接に絵画と詩がセットになっている作品もあるようです。そうなると、絵画はいわば文章から(物理的距離という点で)離れた挿絵のようでもありますね。
 
写真が世の中に登場してくると話はややこしくなります。現実を写し取るという点で、絵画と文字のどちらが優れているだろうかという話だったのが、そこに写真が出てきてしまうと、写真は絵画どころでない現実再現性を有しますから…
 
というわけで、今度はフランスのアマゾンから購入したEmpire of Magic(以前ブログに紹介しました)がほんの少ししか読んでいないまま春学期中放置せざるを得ませんでしたので、続きを読みたいと思います。ラテン語の初級文法が未だにしっかりしていないので、その復習もしています。第二外国語の学習にも精を出しています。休み中は屋外に出ない日も多いので、フィジカルトレーニングも(笑)。