2016/03/15

Saracens and the Making of English Identity読了

 
2014年4月に購入したものの、読む余裕がないまま月日、というか年月が流れて遂に先月読み始め、3月6日にやっと読み終わりました。
本書はイングランドのアイデンティティを主張する写本としてかの有名なAuchinleck写本(ナショナル・ライブラリー・オブ・スコットランド蔵)を捉え、この写本に収められた様々な作品に登場する「サラセン」達の描写を分析しながら、現実の歴史とも絡めて、Auchinleck写本収録作品中のサラセンとイングランドのアイデンティティの関わりを論じていきます。本書においては現実のイスラム教徒を「ムスリム」、文学作品中の彼らを「サラセン」と呼ぶように統一し、何気なく読んでいてもフィクションと現実世界とを混同しないよう工夫されています。
 
本書で述べられていたことを章毎に紹介してみます。繰り返しますが、ここでいうサラセンというのは専ら当時の文学作品中のイスラム教徒を指します。
 
※「noble Saracen knight」―キリスト教徒と大きく違わないサラセンの姿
戦闘技法、戦闘前の祈りなどもキリスト教徒達と酷似し、外見や出自の素晴らしさもキリスト教徒の騎士等と同じ価値観から描かれ、「不信心者を攻撃する戦い」で以て神を崇めるという点も同じで、富を得たいという欲求も共通―そのようなサラセンたちが登場する作品がある。このような状況は、当時のイングランドに重なる。イングランドとフランスは共通の文化遺産を有しており、文学にしてもフランスのものを英語に翻案した作品も多い。お互いに似ている中でどうアイデンティティを主張すればよいのかという問題をサラセンが示している。
 
Bevis of Hamptonに登場するアルメニア王女Josianは当時の外国出身王妃たちの姿に重なる
当時(近代まで同様でしょうが)王が外国から妃を迎えるということが当然あったが、「王妃は身体的に違う訳ではないが異文化の存在である」という点で、Josianの姿に重なるところがある。こうした外国出身の王妃たちは、夫である王の権力の外にある国土や生き方をrepresentし政治的地位を持つ一方で、妻として夫に従属してもいる。彼女たちは集団のアイデンティティと、それに対する脅威双方を体現しているのである。
又、Josianは主人公Bevis(イングランド出身)に近付こうとする時に、キリスト教の神の名を持ち出して接近したりするが、この時点では彼女は改宗していない。このようにこの作品においてアイデンティティはパフォーマンス出来るものなのである。しかしアイデンティティがパフォーム出来るものだということになると、アイデンティティの真実性・永続性に対するanxietyが生じる。つまり、Josianは後にキリスト教徒となるが、この改宗も受洗もパフォーマンスでは?という不安を引き起こすのだ。
このような状況において、アイデンティティの真実性は、本人ではなく他人の振る舞いから伝わることになる。
 
The King of Tarsにおけるスルタンとキリスト教徒王女の間に誕生した子供
この作品では、無残な戦闘を終結させるための譲歩として、キリスト教徒の王女がスルタンに嫁ぎ、王女は表面的にはイスラム教に改宗する。やがて二人の間には子供が生まれるが、その子は肉塊でしかなかった。他の類話では「半分こうで半分こう」といった子供が生まれるのに、Auchinleck写本収録のこの作品では二者の境界が無い単なる塊が生まれてくる。キリスト教徒とサラセンの境界が無い肉塊なのである。同じ写本に入っているFloris and Blancheflourにしても、主人公Florisはイスラム教徒、ヒロインBlancheflourはキリスト教徒であるのだが、二人の宗教の違いを感じさせない作品になっており、神の介在なくしてキリスト教徒とサラセンとの建設的且つ非暴力的な接触は可能であることを示唆している。
 
※聖女伝におけるサラセン
聖女たちを迫害するサラセン。Auchinleck写本収録の聖女伝『聖マーガレット伝』及び『聖キャサリン伝』においてキリスト教徒とサラセンの境界は明確である。ここでのサラセンはキリスト教徒のアイデンティティを決める役割を果たし、更に、贅沢や富に惹かれる等、現実世界の平信徒が考えるかもしれないことを表明する。こうしたサラセンの想いはAuchinleck写本を注文and/or購入した人と共通するところがある。何しろAuchinleck写本は生活必需品ではない。必要がある訳では無い物の消費なのである。
聖女伝におけるサラセンの姿は、比較的現実に近い部分もあり、中東勢力が引き起こす恐怖が見てとれる。現実世界では西方が中東から切り離され敗北していたが、聖女伝においては中東に関わるものが意図的に拒絶され、その拒絶が美徳となる。現実世界の埋め合わせとなるのである。
そもそも聖女が殉教するというストーリーは、周囲の人間が全員キリスト教徒らしい振る舞いをしてしまったら成立しない。迫害されることが必要となる。自らを定義する為にはアウトサイダーが必要であるというのが集団のアイデンティティの自明の理なのだ。
 
※イングランドを再統一させるサラセン
Auchinleck写本収録のOf Arthour and Of Merlinにおいて、イングランドを侵略してくる敵はザクセン、デンマーク、アイルランドの出であっても皆一様にサラセンとされている。そのサラセンをやっつけるアーサーにはシャルルマーニュにも劣らぬ十字軍の栄光が与えられている。Auchinleck写本は全体としても、イングランドの十字軍の栄光を描いている。十字軍への取り組みはイングランドのアイデンティティの一部を成す。
物語中のサラセン侵略後、征服者と被征服者は混交し、アイデンティティはハイブリッドなものとなり、それを暴力で除くこともできない。現実世界でもイングランドのアイデンティティは、過去に侵略や征服を繰り返された、多様な起源を持つものである。英語という言語自体、侵略や征服が作ったものだ。
またこの作品は、サラセンによる暴力や破壊の生産的側面も示す。即ちアーサーに活躍の場を与え、王権を構築させ、若い次世代の騎士が活躍して社会秩序が新しくなる。サラセンに対してはイングランドにウェールズ、スコットランドも共闘するので、「unitary insular identity」が形成される。
 
 
 
 
 
 
一冊の写本全体を俯瞰して、その中のサラセン達の描かれ方を、同じ作品で他の写本の中に残っているものや、他の類似の話などとも比較しながら解釈し、現実の歴史とも結び付けながら、Auchinleck写本が作られた14世紀当時のイングランドのアイデンティティ形成及びその主張に当写本中のサラセンのキャラクターがどう関わってくるかを見事に纏めた研究書でした。強引な解釈ではないかと思われる箇所も散見されましたが、数十作を含む大部の写本全体のメッセージ性のようなものをサラセン描写から読み解くという手法は斬新でした。この写本をイングランドのアイデンティティPRと関連付けて考える場合、やはり(フランス語ではなく)英語の使用などが挙げられることが多いかと思いますが、本書では全く違うアプローチをとっている訳です。
中世の作品が現存する写本のいわば「目次」をチェックして「写本の文脈」を考えること―例えば他に収録されている作品には聖人伝が多いからこの物語も聖人伝のようにして読まれたのではないかと推察する、等―は現在基本的な作業になっていますが、本書に於ける「写本の文脈」はそれよりもずっと踏み込んだものになっていました。
私がロンドンで発表した研究に対しても非常に参考になります。この一冊を参考に練り直して論文化できれば、ちゃんとしたものになる・・・かもしれません。

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