2013/09/20

後期開始

メインの勤務先では今日が後期授業開始日です。授業回数増加に伴い、後期の始まりも各大学で昔よりやや早くなっています。

私は金曜日はOFFですので、個人的には月曜日(恒例、休日授業実施日です)から後期の仕事が始まります。後期は1コマ減って10コマになります。最初から10コマフル回転となると、来週は間違いなく喉を痛めそうです。

後期は来年度の教科書選定とシラバス執筆も行わなければならないのでややせわしくなりますが、前期3回あった学会は(多分)1回しかなく、学期終了前に冬休みが入るので体力的には前期よりしのぎやすくなります。そうなんです、6コマ持っているメインの勤務先では学園祭休みが月~木には無いのです・・・(学園祭で1週間丸ごと休みになるのに慣れている塾生にはカルチャーショックですね!笑)

後期は授業も頑張りつつ、ラテン語はじめ語学も頑張りつつ、三田からどんどん文献を取り寄せたり、論文も書いたりしたいと思うのですが、張り切るだけで終わるかもしれません(苦笑)やはり前期は体力管理(体調ではない)が結局うまくいかず7月には疲れ果てていましたので、その点を気を付けたいと思います。

後期の内容は講読8コマ、英語プレゼン1コマ、講義1コマです。講義はシェイクスピアに始まりアメリカ、ジャマイカ、インド、オーストラリアと世界を旅する感じで、前期は中英語を音読しましたが後期はアメリカ南部訛りを試みます。(笑)

2013/09/12

LGW

いつコピーしたかも思い出せないThe Chaucer Review誌掲載の論文を一本読みました。95年の論文で、チョーサーのLegend of Good Womenにおける女性像について書いたものです。

この論考においては、LGWにおいては善き女というのが常に男性との関係性において語られていると指摘されています。つまり、この善き女性たちは皆誰かの恋人や妻であり、その善さというのは結局、相手の男に忠実でした、というポイントに在るのです。

LGWに出てくる古典の女たちと、クリスティーヌ・ド・ピザンの『女の都』に描かれている古典の女たちの中から共通しているキャラクターを比較すると、例えばヒュプシピュレーはLGWにおいてはイアソン(黄金の羊毛の)に裏切られた哀れな女であるのに対し、『女の都』では勇気ある女として描写されている。etc.

結局『女の都』においては、男女は確かに身体が違い、その結果力も違うけれども、逆に精神や魂は同じものから出来ているため、男も女も有徳の人物になれる可能性を持っているし、女の善さというのは何も貞節さだけではない、というスタンスで、一方LGWにおいては男に対する貞節、女らしさが男らしさに従属することが女の評価を形作っている、というのが論者の主張です。
本論によれば、別にクリスティーヌ・ド・ピザンは「男女は平等です!」等と主張していることはなく、ただ男女どちらの魂にも善の可能性があるということ、女性の美徳が貞節に限定されていないということが読み取れます。


これはこれで結構納得がいく論文でした。そういえば中世の女性についての授業で、女は乙女か妻か未亡人かしかなく、常にこのポイントで定義されるということを習いました。よく考えれば男性でもこのカテゴリに分類できますが(そして男女共に、現代であっても分類可能ではありますが)当時は女性の方が男性との関係性で語られることが多かったのでしょう。男性は誰々の息子、という言われ方は結構ありそうで、実際マビノギオンでも「○×の息子○×」とキャラクターが言及されますが、(指輪物語等もこの辺りの影響でしょうか?○×の息子○×、という言い方は多用されます)誰々の夫という前置きはあまりないのではないでしょうか。今気付きましたがロマンス(物語文学)においても主人公の妻は出てきても名前すらないことも多いです。「○×の夫○×」という言い方は見ないように思われますが、「○×の奥方」という言い方は普通です。やはり上下があるのでしょう。「グウィネヴィアの夫アーサー」と言ったらアーサー王らしさまでundermineされてしまいそうです。

2013/09/10

博士論文審査報告

・・・を改めて読んでいます。

6月下旬に大学から突如何らかの冊子が郵送されてきて、一体何かと思ったら博士論文要旨・審査報告でした。文系学部キャンパスで昨年度後期に学位授与の決定が為されたもの全てについて収録してあるので、哲学あり経済学あり、幅広い分野の博士論文の要旨及び審査報告が掲載されております。


こんな感じでdouble column且つ小さいフォントでびっしり書いてあります。
先ず博士論文提出時に添付した書類に書いた要旨が載っており、続いて審査報告という構成です。
この報告書はやがては英米文学専攻のサイトにPDFが置かれることになるのですが、数年前から更新されていない状態なので、私のが載るのは明日か5年後か分かりませんが・・・

誰の論文に対する所見であれ、必ず良い所と悪い所が指摘されているものです。私の論文に加えられた批評の一つが「チョーサーが少なくないか」というものでした(苦笑)
チョーサーと言えば、英文学を知らない人でも「なんか聞いたことがあるなあ」と言う人もいる、という有名作家。勿論中世では、作者不詳も多いこともあって特に有名というかメジャーな存在です。
英文学で最も有名なのはシェイクスピアかと思いますが、それだけに凄まじい数の研究が在り、シェイクスピア研究を行うのはある意味とてもやりにくいと思います。先行研究が多すぎて、じゃあ今更自分が何をやるかというのを見出す苦労が特に大きいでしょう。
それと似た感じで私はチョーサーをやや避けてしまったのです。あまりにメジャーなので、メインの研究対象にはしておらず、そんなに注目していませんでした。そこで、今更ながら見直してみようかと。


さて、夏休みもあと2週間弱になってしまいました。後期は1コマ減って10コマになります。
夏休みには以前紹介した中世のこども文学のアンソロジーと、聖女&それを解釈する男性について論じた論文集(学会発表した折に、或る先生に勧めて戴いた本です)を読んだり、語学の勉強をしたりしていました。酷暑の期間もありましたが、通常の暑さであったり朝晩が少しだけ涼しい期間もあったので、記録の割には過ごしやすい夏だったと思います。もう1か月以上東京には行っていません。
最後に良い研究テーマを思いついたのが修士課程の時、という状況を脱するべく、試行錯誤中です。