2013/08/04

整理、心機一転

前期末試験採点・成績評価そして読書会も終わりましたので、ようやく自分の研究一本に時間を使えるようになりました。前回の記事にも書きましたが、これはパートタイマーだからこそ得られる貴重な時間です。専任教員には「自分の研究だけを行い続ける」というような時間は確保できません。今のうちに色々学び、トピックを仕込んでおかねばなりません。

しかし文献読みに入る前に、部屋を掃除しています(笑)。organized personになろうとは決意するものの、結局上手くいかず、大学から貰うプリントや郵送されてくる書類、更には税金や保険の通知書、学生が出す欠席届などが散乱。きちんと整理しておこうとは思うのですが・・・ただ、提出書類は郵送されてきたら即刻返送するようにして、これだけは整頓できました。

学会のハンドアウト類も積みっぱなしになっていたので、きちんとしまいました。大学院以降は、授業プリント、授業発表でのハンドアウト、学会やシンポで貰う資料やハンドアウト、文献複写といった紙類が尋常でなく溜まり、どう整理するかというのは学生から教授に至るまで永遠のテーマであったりします。院生になってから相当クリアファイルを買いましたが、これはある意味対症療法であって根本的解決には全くなっておりません。特に文献のコピーは一体どうしたものかという状況です。整理してはあるのですが、埃が入る状態なのが難点。


まあともかく、掃除機をかけてから、以前紹介した子ども文学の文献を読み進めたいと思います。ちょうどゲスタの項に入るところです。


さて、昨夜は学部ゼミが今度20年を迎えるということを機に開かれたOBOG会がありました。このように大々的にきちんと会を行うのはおそらく初めてのことです。上下6学年ずつくらい知り合うことになる大学院とは異なり、学部のゼミでは自分が3年だった時の4年生、自分が4年だった時の3年生しか知ることがありません。つまり上下1学年ずつしか知らないわけで、更にその中から僅かな出席だったので、知っている人があまりおらず、初対面の人と会話するのが得意でない私は結構孤独でしたが(笑)、学部生とも話す機会があり、時代の流れを感じました。何しろ英文科の有名な先生方も彼らにとっては今や定年退職後の、全く存じ上げない過去の先生なのです。ただ、昔ほどではないかもしれませんが、他専攻に比べてエグいという点は健在のようです!
肝心の先生とお話する機会がありませんでしたが・・・まあ、私はゼミの後も8年にわたって先生の授業に出続け、先月も先生と院生の飲み会に参加させて頂いたばかりですから。先生に本当に久々に会われる皆さんが先生を独占すべきです。笑

ドレスコードはカジュアルでしたが、女性はワンピースの方が多かったですね。私も何となくワンピにしようかと思いましたが、持ってないのです。
そして、そういえばうちのゼミは女子が多かったなあと今頃思い出しました。各学年男子1人が続いた時代もありました。

先生のスピーチを聴いて思ったのですが、大学院において指導教授に指定できる先生というのは予め決まっていて、例えば「言語学のA先生、アメリカ文学のB先生、英語学のC先生、イギリス文学のD先生とE先生」といったようになっています。このように指定できる先生の数が英文科全分野で4、5名、とかなり限られていますので、先生方の方も比較的幅広いトピックを持つ院生を担当される可能性があります。
そういうこともあって、うちのゼミの先生を大学院で指導教授としている学生も、先生同様に中世専門とは限らず、先生の教え子のさらにまたその一部が中世専門を受け継ぐことになります。中世と、ルネサンス~17世紀辺りが半々くらいでしょうか?
そうなると、どっぷり中世専門で博士号まできた私は先生の教え子として責任を持って、伝統を受け継ぎ、高いrequirementを満たすように常に向上を心がけなければと、当たり前のことながら改めて考えました。稀少な若年Medievalistということになりますからね...。私自身も、自分の専門分野をもっと広くPRしたいし、多くの学生に知るだけでも知ってもらいたいと思います。シェイクスピアや近現代小説の研究ならば現代とrelevantであるか否かが問題にならないのに中世ばかり意義が問われるのはおかしい事、実は現代とrelevantである上に仮にそうでなかったとてやる意義も面白さもあることを伝えたいという思いもあります。


さて、色々ありまして日常生活面でも研究面でも求職面でも心機一転しました。仕切り直して頑張ろうと思います。博士論文を提出した昨年以降、あまり本格的に研究に取り組めていないので、逆に楽しみになってきました。

電車の中ではスペイン文学の本を読んでいるのですが、これが結構参考になります。やはり文学作品というのは人間の性格、心情、言動、社会問題や歴史を描き出したものであり、人間が変わらず抱え続ける諸問題が表出しているものです。著述家は、書いたからには何かを表現するか伝えるかしたかったのであり(そういう意味ではダンスや絵画などとも共通点が見出せます)、そうして文章という形に表出されたものを読みとることには絶対に価値があります。
そういえば英文学を広くヨーロッパの枠組みで捉える文献読みをすすめるのがうちのゼミでした。スペイン、フランスなどにも着目していきたいと思います。

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