2012/05/26

授業準備

2クラス分(教科書は同一)の授業準備を先週終えました。立教の先生が書いた教科書で、洋書っぽい和書ですが、空きコマに毎週読んだ、つまり週1回2~3時間程度読んだだけで本文読解も練習問題も終わったのです。こんなすぐに読み終わってしまう本を一年かけてやるのですから、極めて分量は少ないと言わざるを得ません。

この教科書には教員マニュアルがあり、和訳が載っていたので一応参考に見てみたら、驚き呆れるほどの誤訳に満ち満ちており、「一体どこをどうやったらそうなるんだ」という程の間違いだらけでした。学生が超ラクにシケタイできるように、試験前に教員マニュアル掲載の和訳をコピーして配ってあげようかとまで一瞬思ったのですが、これではダメです。試験に和訳問題を出したとして、学生がこの和訳を暗記して試験に臨んだら、却って点が悪くなるかもしれません(苦笑)。


講義のクラスは昨年と同一内容をやるため、準備はざっと見なおす程度なのですが、震災でつぶれた分、今年度は2章ほど多くやることになっています。その(昨年やっていない)2章の準備を空きコマに始めました。とはいえ、これは後期にやる分なので今やらなくてもいいのですが。
この前取りかかったのはインド諸言語の英語との影響関係についてで、「シャンプー」までインド言語起源だったとか、「へえ!」と思う記述が色々ありました。「サンスクリット」のアクセントはどこに来るのかなとか、知っている単語もたくさん辞書を引きました。このクラスは、自分にとっては分かり切っていることを扱う通常の語学のクラスとは異なり、色々授業内容が勉強になる部分もある唯一のクラスです。

さて、早くも前期末テストのアンケートが郵送されてきました。期末試験をやりますか、やるなら期間前試験ですかそれとも定期試験期間ですか、やらないなら平常点やレポなのですか、試験問題の印刷は依頼されますか、というようなアンケートです。もうそんな時期なのですね!8種類(?)の期末試験を作ると思うと、今から気が重いです(笑)。

たった30部であろうと意外と手間がかかる期末試験問題のコピーなので、印刷を事務がやってくれるのは大助かりです。タダですしね。昨年も書いたように、試験当日事務窓口に行ったら、名前も言わないうちに問題が出てきました(=覚えられていた)。でも、本人確認どころか名前も聞かずに問題を渡すなんて、教員のフリして学生が取りに来て学生に問題がリークするなんて事態になり得ませんか?
そしてこの事務の方は今年も、突然私の教室の前で待機していて連絡事項を伝えて下さったりと、2度ほど会話をしたので、ますますしっかり覚えられていることでしょう。で、この方、もしかして私より若いのではないかとうっすらと気になります。

2012/05/20

クラス全体のパーソナリティ

結局授業がうまく進むかどうかには、教員自身の力量や教材内容よりも、クラス全体の雰囲気のほうが大きな影響を及ぼすことがわかってきました。

学生個人個人いろいろなキャラクターであるのと同様、クラス全体としての性格みたいなものがあって、それによって取り組み方や出来具合に差が出てきます。

第二外国語や専門科目と異なり新たな事項を学ぶ訳ではない大学の英語科目は、授業の必然性が低く、新しいことを知る面白さもなく、昨年度からの授業回数増加に伴ってますます単調で間延びしたものになりがちです。
語学の授業は、指名されるということと、予習してない所まで授業が進んだらどうしようという不安とで、それなりの緊張感があったものですが、それは私個人の話。何しろ教科書を忘れてすら平気な学生もいます(当てられた時だけ友達の教科書を借りてその場で考えて答える)。一方、予習が足りそうかどうか不安で授業前に確認しに来る学生もいます。

私が学部生の頃だって、とても面白い授業内容&最高の知識&最高の話術を兼ね備えた先生の授業でも、私がエキサイトしている一方で寝ている学生は何人もいましたし、あの状況を見てしまうと、例え自分が予備校の名物講師のような授業を出来たとしても、全員がengageすることはないのだろうなと思います。

2012/05/16

西洋中世学会/中世英語英文学会

学会がない半年間もようやく終盤になってきました。中世分野では、来月に2週連続で学会があります。まず日本中世英語英文学会東支部、次の週に西洋中世学会です。西洋中世学会が発足して以来、「東支部の翌週に西洋中世」というスケジュールは変わらないですね。因みにどちらの学会も略称がJSMESです。

西洋中世学会ではゼミの後輩が発表をします!図書館での展示もあるみたいなので、途中逃亡して三田のメディアセンターに行こうかなと。しかし発表会場が東館8Fって・・・あの重役会議みたいな部屋ですか?日曜は超お馴染みの北館ホールですね。

昨年記事にしたように、何やかやと色々あって西洋中世学会には出ずじまい。今回はホームでの開催なので、今度こそ行きます。


一方東支部ですが、開催地は長野。私が修士2年の時も全く同じ場所で開催されましたが、その時は行きませんでした。この時は先生もいらっしゃらなかったかもしれません。
先日、自分には何の縁もゆかりも無いICUから封書が届き、一体何事かと思ったら東支部のプログラムでした(事務局が現在ICUにおかれているため)。
東支部を首都圏以外でやる時には出席がマストではない感じなのですが、プログラムを開けてびっくり(いい意味で)。数点(いい意味で)気になるポイントがあり、これは行かにゃなるまいて、というプログラムでした。当初は、参加するのであれば泊まるつもりでしたが、どうせ松本城も行ったことがあるし、ホテルの確保も面倒になってしまい、、、ドタキャンした仙台開催の時(2009)同様まさかの日帰りにチャレンジしようかと思います。そうなると、懇親会欠席が義務ですが。(松本発最終便が8時ってマジですか)

西洋中世学会が終わるともう夏休みが見えてきます。結果はどうなるにせよ、博士論文を既に提出しているため、月日の経つのが早く感じられてもそれが焦燥感を生むことはない、というのは取り敢えずは本当にいいものです。

2012/05/15

今の研究環境

ふと気付けば、提携協定のお陰もあって、私はなんと
立教、慶應、明治、青学、成城、國學院、学習院、成蹊、東洋、法政、明治学院、武蔵
という12大学で図書館が使えます(貸出まで出来ます!)。

もちろん、提携サービスであるため、例えば立教なら池袋本館のみで積層何とかってところには入れないとか、少々制約はあるのですが。
それでも、こんなにも多くの大学図書館を直接使えるというのはたいへんな恩恵です。ただ、中世英文学研究の場合、圧倒的大部分は慶應義塾図書館でまかなえてしまうので、この恩恵を全然利用していません・・・。ただ、いつか役立つ日が来るといいなと思っています。

このように、本を借りたり文献をコピーしたりという点ではかなり不自由のない環境なのですが、雇用形態がパートであるために、勤務先であっても(大学図書館が契約している)オンラインデータベースを使える環境にはありません。
データベースがないことには始まらない、という研究分野ではありませんが、学術雑誌に掲載されている論文を探すのは蔵書目録(OPAC)ではなくデータベースでないと出来ません。雑誌論文検索の普通のウェブサイトもあるにはありますが、分野などの関係で、個人的にはこのようなサイトは意味がありません。

生活としても、大学に教えに行っているだけなので、研究というもの自体に接することがなく、まだ博士論文に方が付いていないのに自分は何をやっているのだろうという気分になることもあります。先生とも院生とも会っていないから何かを教わったり刺激を受けたりする機会もなく、予定や締切(授業での研究発表や、論文の提出等)もなく、何と言うか次第に英語教員としての側面しか自分の中になくなっていく感があります。英語教育法には実は結構興味があるのですが、大学の英語の授業というのは必ずしも「英語を学びたい」と思っている人の集まりではないのですから、ESLのメソッドの探求よりも授業運営自体のほうに精神的エネルギーを割くことになるのが現状です。

空きコマを利用して頑張った結果、前期の授業準備は大半が済んでおり、意外と時間の余裕がたっぷりある(=やろうと思えば研究もかなりできる)状況なのですが、自分で意識を高くもっていないと、随分取り残されてしまいそうです。文献情報、文献読み、作品講読、研究のメソッド、研究の動向、等あらゆる点において。

2012/05/10

リーディング力のアップ

大学の英語の授業は講読が多めですが、英語をどうしたら読めるようになるかといえば、基礎文法さえできていれば(ここでいう「基礎」とは本当に基礎の基礎)あとは大量に英文を読みこなすことが必要で、そしてその「大量」というのは年間1000ページとかそういったオーダーの話なので、授業では扱えません。

結局教科書を使い、そして結局意味を説明するためには訳さざるを得ないのですが、普段英文を読む時には訳しませんし、全く違う言語である以上、「意味はわかるけど訳せない」という文章も時折存在します。(逆に、驚くほど似た表現もありますが)。だからこそ私は訳文づくりには重きを置きたくないのですが、最終的にはやはり訳を言って説明することになる・・・という矛盾というか葛藤を抱えながらの授業になります。


そもそも大学では、普通の科目で洋書(英語)の教科書を使ったりするもんじゃないのかとよく母に言われるのですが、(例えば、英語で書かれた数学の専門書、など。)まあ、現在の学生にはそれは困難かもしれません。一般的にはどうなんでしょう?私は英米文学専攻でしたから、専攻の科目の教科書はほとんど全て洋書でした。普通の語学(英語)の教科書も洋書が多めでした。しかし他の科目では一切洋書はなかったです。

でも確かに、本来的には、というか理想像的には、大学では日本語だけでなく外国語の文献―少なくとも英語のものは―を用いて研究する場であり、なにも英文科でなくても、理系などでも、先行研究を知るために英語の論文はチェックするべき・・・なのでしょうが、現実問題、そうもいかないのではと思います。

ですから、理想としては、もう英語で専門書が読めるはずなのですが、トップクラスの大学であっても、ちょっと長い文だとわからなくなってしまう学生もそれなりに多く、英語の研究書を読んでいくのはまだちょっときつそうです。ですから授業で丁寧に教科書をやっていくわけですが、やはり自分でたくさん読んでもらわないことには、この程度の分量じゃスキルアップにはならないんですよね・・・と、結局堂々巡りになるのでした。

2012/05/06

ロマンスにおける絵

今日でGWも終わり、夏休みまでノンストップになります(海の日もありません)。ここが年度通して一番の長丁場で、とにかく長い。何とか体力をもたせられるよう工夫したいと思います。授業準備は大半が済みつつありますし。


さて、昔から何となく考えているトピックが中世ロマンス(物語文学)において絵の果たす役割や解釈等です。
作品の本が容易に手の届くところにないので、以下、何とも曖昧な記述になりますが―例えばEmare(チョーサー『カンタベリー物語』のMan of Law's Taleと同様の話)では主人公の女性Emareが持ってた或いは身につけていた布に、色々な物語の絵か刺繍かがあって、Emareはある意味「読まれる女性」となります。その布の絵を他人が見ることによって、物語中の彼女の人生に影響を与えています。
それからFloris and BlancheflourではBlancheflourが売り飛ばされた時にその代金として渡されたカップがあって、それにも絵が刻まれており、なぜか題材はトロイの物語。この場合はこの絵が何か物語を左右するわけではないのですが、なぜここでパリスのヘレンの話が出てくるのでしょう。
そして12世紀のビザンチンのロマンスHysmine and Hysminias(Eumathios Makrembolites著)でも主人公の滞在先の家(そこの娘がヒロイン)の壁画をじっくり鑑賞する場面があり、この絵の鑑賞は一応物語展開に絡んできます。

このように、物語の中において何か物語を表したり、解釈を要したりする絵が出てくる時に、特にそれらの絵の読まれ方あるいは象徴している物事などが物語展開に於いて何らかの重要性がある場合は興味深いモチーフとなると思うんですが・・・V.A. KolveのChaucer and the Imagery of Narrativeとかに何か書いてありそうな気もします。