2011/07/06

Reeve's T

チョーサーのCTの「家扶の話」。これについて少々講義をすることになり、まずはさっと和訳を読みました。CTでは、例えば「粉屋の話」ならば粉屋が語り手であるという意味であって物語自体が粉屋の話である訳ではない、というようなケースが多くあるのでややこしいのですが、「家扶の話」は粉屋の話なのです。紛らわしい。

それはともかく、「家扶の話」はどんな話だったっけ、と思って「ゆりかごの位置」というキーワードで一気に詳細を思い出すというのも何とも情けないしかも低俗な記憶ですが、講義のトピックのポイントは勿論そんな所にはなく、北方にあります。

つまり、「おかしな北方人」の文学に於ける初出が「家扶の話」であるというのです。私自身裏付けは取っていませんが、ともかく本にそう書いてあります。

和訳を読むと、粉屋の妻と娘を寝取る二人の学生が遥か北の国の出身だということがわかるだけですが、校訂版のThe Riverside Chaucerを見ると、註に(Nth)と沢山付いています。つまり彼らはイングランド北部のdialectを使用しているのです。

上述の本(≒教科書)によれば、現代でもその辺の地域ではこの学生たちの発音が理解されるだろう(!)、リーズなら快適に過ごせるだろう、との指摘がなされていました!

確かに、北方方言を用いたSir Gawain and the Green Knightを講読すると、北部出身の学生が「今でもこの単語使ってます!」と言いに来ると聞きます。


ともかく、「家扶の話」に何がしかイングランド北部が言及されていること自体は知っていましたが、ではそれが何なのか、つまりどういう効果をもたらしたり、作品にいかなる影響を及ぼしたり、或いはどのような表象を為されたりしているのかといった事は分かりませんでした。それだから改めてまずは和訳でも話を読み直してみた訳ですが、学生たちの出身地は細かい情報に過ぎず、原典を読んだり聴いたりしていれば彼らが北部出身だという事を現地の観衆は常に意識させられたとしても、物語の中でそれが大きくクローズアップされたり、非常に目立ったりといったことはありませんでした。例えば、方言を笑われてしまうとか、そういう場面があればわかりやすいのですが、学生たちのdialectは少々ドタバタな結末へと連なる「やられたらやり返せ!」な物語に飲み込まれてしまう気がします。

しかし今書いたように、原典レベルで見れば学生たちの言葉がロンドンとは違うことが常に感じられるわけですから、そうすると物語全体の印象も変わってくるのかもしれません。

そして、折しも大学院では後輩が「家扶の話」に関する研究発表で春学期を締めてくれました。こちらはまた、当時の製粉にまで考慮がなされた、また全く違った視点からの研究でしたが、何というタイミングでしょう。今週は「家扶の話」が最もタイムリーでホットなトピックとなりました。lol

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