2011/05/28

Sharing alternative viewpoints

日本中世英語英文学会主催「研究助成セミナー」は、大学院生や若手研究者の皆さんが中世英
語英文学研究を進める上で助けとなるよう、日ごろ交流する機会が少ない他の大学の人たちとい
っしょに、さまざまなテーマについて学ぶことができる機会を提供することを目的に毎年開催さ
れています。


というのが昨年送られてきた開催案内の文面でした。これはよいことだなと思いました。

日頃院生たちから時折聞くのが、「他大学の同分野専攻の院生を全然知らない」という事です。確かに、「あの人は何年も前からよく見る人だけど、学生かなあ」といったように、「とりあえず学会で見かける顔だけは知っている人」というのは自然にできていくわけですが、交流したり、ひいては共に学んだり考えたりということになると極めて機会は限られると思います。せいぜい学会後の懇親会に出席して話すぐらいでしょうし、ゼロから知り合いになるのは容易ではありません。(これはその人の人づきあいの得意さにも大きく左右されるでしょうが・・・。)

学会を契機にする場合は、やはりまず自分が積極的に出席し、かつ、できれば研究発表を行えば、そのつてで同じ教室で発表した同年代の院生と知り合えたりします。ただ、学会という場は年に数度しかないわけです。


私の出身大学院では、他大学の人が授業に出席していることも珍しくはないので(必ずしも単位互換制度等ではなく、先生に申し出て出席するいわば「もぐり」の場合も多いです)、そういう時は交流ができます。しかし振り返ってみれば私たちはあまり他大学に行っていません。自分のところの授業が多すぎて、追加で他に出かける余裕がないというのもあります。

このように、交流の機会は少ないわけですが、それによるメリットは、異なる方向性に触れられるということです。当然これは留学でも実現できることです。
つまり、先生方は何でもご存じですが、もちろん特に専門としている領域、視点というのはそれぞれです。さらに、各大学のカラーもあります。例えば同じシェイクスピアでも、この大学は上演史に強く、この大学は出版史に強い、というような傾向の違いがあるはずです。
自分の所属している大学でよくみられるアプローチが、他大学ではあまり触れられていないことも珍しくなく、その逆もまた然りであります。
だから、同じような研究テーマでも、こういう視点があったか、こういうコンテクストがあったか、と新たな発見ができる。それが他大学の研究&それに携わる人々と交流する重要性であると思います。

2011/05/26

小テスト

今週と来週は小テストでした/です。私はあまり小テストはしないタイプ(?)なのですが、今年は諸般の事情により行うことになりました。
本当にA4一枚ペラ程度のものですが、授業では非常に問題なくよくできているのにその同じ内容に対して空欄がある場合もありました。一応TOEIC該当520-700の教材なのですが(といっても、520と700は結構違うような?)読んでみると平易なので、正直なところ、易しすぎるものを選んでしまったかなあと思っていました。実際学生たちも、「わからない」どころか間違いをすることすらほとんどないぐらいだったのです。

授業も本格化し、研究との両立が大変になってきました。去年は授業準備にとられた時間はたった週1時間程度だったので、すさまじい違いです・・・。
教員室の空き時間などもうまく利用して、なんとかやりくりしていこうと思います。

今日は朝の通勤電車で考え事をしていたら、大学最寄駅を通り過ぎてしまいました。こういうときに限って快速に乗車していたので、2駅先まで行ってしまい、そこから各停で戻りましたがなんとか間に合いました。この一年間でこういうことは3回目です・・・。

2011/05/22

Brunetto Latini

という人の書いたLi Livres dou Trésorを調査するため、とりあえずまずは英訳のThe Book of the Treasureを調査中です。中世ヨーロッパの寓意的な著述に関して研究する目的なのですが、本作は古典や聖書の知識の宝庫であるようです。イタリア(フィレンツェ)人ですがフランス語で書かれています。

アリストテレスのニコマコス倫理学やキケロのDe Inventioneを入れ込んであるのも、ギリシア・ローマ古典の中世ヨーロッパにおける受容(ありがちなテーマですが・・・)という点からも面白いと思いました。色々と教訓になる著述を項目だててたっぷりと収録した中にそれらは含まれています。つまり、普通に一作品として訳して世に問うたのでもなく、原典のまま写本を筆写して普及させたのでもなく、古典作品を翻訳に近い形でまとめてそれを大枠の中に入れ込んだのです。英訳本においては1.・・・について、2.・・・について、3.・・・について、という感じで項目&それに関する文章のセットがものすごくたくさん列挙されています。これが原典、写本レベルでもこのようになっているのか、或いは翻訳の便宜上見出しを付けたものなのかという肝心な点を未確認ですけれども、ともかく内容自体はそのように多くの項目が並んでいるものです。

その中にニコ倫などを入れ込んであるということは、「とにかく色々とためになる内容集」のネタとしてアリストテレスやらキケロやらをピックアップしたということで、或る意味「使えるネタ」のソースという雰囲気で古典が捉えられたともいえるのでは、と考えました。異教世界にあたる彼らの著述もやはり権威あるものとして存在感があったのでしょうか。

2011/05/20

I'm so embarrassed I could die!

さて、今週も仕事が終わりました。通勤が思ったより楽なこともあって、思ったほどキツい状況にはなっていないです。仕事も大事ですがネタ切れで停滞している博士論文の方も何とかしなければなりません。月火水は授業の準備、木金土日は研究というスケジュールでいきたいと思います。
それにしても、講義では今までの人生でもやったことのないような(!)読み間違いをなぜか咄嗟に連発してしまい、自分で気付いて訂正はしたものの、「誰にでも間違いはある」とはいうものの、本当に恥ずかしい事でした。折しもラジオ英会話今週のテーマが"Learning from mistakes"。過ちを繰り返さないようにしたいです。こういうのはいつまでも覚えている性格なので、一生忘れないと思います(苦笑

また、通常の語学と同様の準備をして行ったら、はっきり言って不足でした。科目としては語学でも、形態が講義であるので、学生を指名することもなければ黒板に書いたりすることもありません。ひたすら自分が勝手に説明を続けるのです。

私たちが普通に日本語を使っているからといって、では外国人にいきなり日本語を解説できるかというと、「こういう表現をするんだよ」と紹介すること自体はできても授業のようなことをやるのは意外と困難であるのと同様で、英語も、教科書を自分で読む分には当然理解できるし、知らない単語すらまず無いわけなので、よくわかった気になります。しかしそれを改めてイチから説明しようとすると、意外と難しかったりするのです。また、余程複雑な長い文章あるいは逆に非常に短くて「I love you」程度にシンプルな文章はいいのですが、その他大半を占める「特別難しそうでもなければ平易すぎるわけでもない文章」について、どこまで解説したら良いのか悩みます。学生を当てる事もなく、試験の採点も他人が行うとなると、学生の理解度・英語力を推し量る機会がありません。その結果、学生からすれば「・・・別にここはわかるんだけど普通に」と思われるポイントを講義しているかもしれないし、「ここがよくわからないです・・・」というポイントをスルーしてしまっているかもしれません。もちろん英語の理解度に各人差があるでしょうし、一概にはいえないのですが。


他の先生も仰っていましたが、専門課程の科目と違って語学の授業は教員にとっては最悪アドリブでもできます。「教材の文章の意味がわからない。。。」という事はあり得ないわけですから。
だから、何も解説内容をみっちり準備していかなくても、その場で説明はできます。ただし、とっさに説明しようとすると、「訳をつけて解説するならどういう言い方(訳し方)をするのがいいか」とか、「一番的確な訳語は日本語でいうと何か」とか、一瞬の迷いが意外に生まれます。そうすると、言葉に詰まったりしてしまうわけです。


自分には何でもなくわかることをどう講義するか。しっかり練って次回にのぞみたいと思います。自分にとっては平易で当たり前のことですらも教科書に書き込んでおこうと思います。私にはやり直しがきいても、学生たちにとってはその授業各回が一度きりのこと。良い教育が提供できるよう頑張ります。

2011/05/12

授業開始②

先週の商学部に続き、今週は文学部の授業が始まり(大学は同じです)、今日がそちらの初回授業となりました。
こちらの方は教材・進度・全クラス共通小テストとも既に指定されており、授業自体の進め方のみ各教員の自由となっています。そういう訳で毎週やる内容自体は予め決まっており、今日の予定は授業の説明でした。

そういうわけで、履修者も155名ですし、TAを2人も従えて教室に入り、出席や不正行為の扱いについて厳しく話しました。その後教材DVDを試しにかけました。フリージア語、ゲルマンの襲来、ケルト、などなど恰も英文科の専門課程の科目のような内容です。これを普通に必修英語でやるのですから、単なる語学にしては非常にアカデミックなものとなります。ついつい語学ではなく内容を講義してしまいそうです(笑)。

今日はガイダンスだけなので学生を早めに帰して、DVDの操作を繰り返し練習しておきました。すると映像にロンドンのサウスバンクが出てきて、まさにサウスバンクに生活の拠点を置いていた(1年にも満たない期間ですが…)私はかなり気分が盛り上がりました!もちろん、古代から中世を扱った箇所で古城址や写本やtonsureの僧の映像などがどんどん出てくるのも盛り上がります。しかし、学生の中にこうした映像にワクワクする人はどれぐらいいるのでしょうかw でも、ハリポタ系のものが好きな人だったら、多少は関心が湧くのではないでしょうか。

DVDはイギリスの普通のテレビ番組で元来英語教材として作られたものではないですし、上述のように内容もアカデミックですから、リスニング難易度及び語彙レベルは相当厳しいものだと思います。個人的には身近な「基礎単語」が頻出するのですが・・・。笑

という訳で来週の授業はまさかのベーオウルフです。コットン写本について講義をしましょう。・・・いやいや、これはあくまで英語のクラス。アカデミックな内容はあくまで補足です。

2011/05/10

Laurent de Premierfait

Laurent de Premierfait (c. 1365−1418)という人について今リサーチをしています。フランス語履修者には何とも覚えやすい名前のこの人は、自らラテン語詩を作るだけでなくボッカチオやキケロの著作をフランス語に訳したことで知られています。ボッカチオのDe casibusの初の仏訳を1400年に行ったほか、デカメロンの翻訳も1414年に行いました。後者は、『ベリー公のいとも美わしき時祷書』『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』で知られるベリー公に献呈されています。但し、イタリア語原典からの翻訳ではなく、ラテン語訳からの重訳だということです。ベリー公の為にはDe casibusの新たな訳を1409年に作っています。

キケロについては『老年について』を1405年に、『友情について』を1416年に仏訳し、作業はブルボン公ルイの為になされました。
また、アリストテレスのEconomicsもラテン語からの重訳で仏語にしています(1418年)。

このように自国語への翻訳を作ることによって、より広く作品が普及することが期待できますから、過去の作品の受容という問題において翻訳は注目すべき問題です。しかしここで注意しなければならないのは、私たちが今考える「翻訳」とは必ずしも同じものではないということです。Laurentも例えば地名が出てくると、どこそこの町だとか補足的説明をどんどん加えて訳したようで、人名地名の解説や同著者他作品への言及など色々盛り込んだ結果、1409年版のDe casibusは原典の3倍ほどの長さになったそうです。デカメロンの訳にも改変が施されているようです。そこで興味深いのは、Laurent自身が翻訳の方針を前書きにおいて言明していることです。たんに当時の翻訳の概念が現代と異なったというだけではなく、彼自身も自分なりのポリシーを持って訳業に臨んでいたというわけです。ラテン語がわからない人たちに向けて作品の何を伝えたかったのか。そこに訳者の個性が出ているのかもしれません。

2011/05/04

授業開始

今日が今年度の仕事始めとなりました。今日は2クラス担当しています。

ひとクラスは1年生ということもあり、まだ結構静かです。コロキアルな英語を練習するクラスですが、会話ではなくリスニングとプレゼンの二本柱で授業を行います。

もうひとクラスは2年生で、「1年生の時からクラスが一緒」という状態なのですでにクラスの人々は友達になっており、非常に賑やかです。授業の最中にもどんどん教員に話しかけてきますし、教室全体に問いを振っても決して誰も答えない私の母校とは凄まじい違いです(笑)。

何か振ればリアクションは返ってくる、男女がなぜか分かれて座る、ということを先生方から聞いていたのですが、全くその通りでした。どちらのクラスでも「何か質問は?」と言うと必ず答えがある、これはもう私の出身大学では考えられません(笑)。


今年度から初めて勤務する大学ではありますが、昨年採用の面接の際についでに教員室等も案内していただいてましたし、教員ガイドブックもその時に戴いていたので、あまり戸惑うことなく仕事に入れて良かったです。

授業の合間に早速図書館入館カードを作りました。昨年度の勤務先のはラミネート加工の紙でしたが、今度はかたいカードでしかも教員証から転写したカラー写真入りです。これで何十冊も本を借りられるようになりました。ただ、どうしても私の研究分野の本は慶應義塾図書館が一番充実しています。そちらとうまく使い分けたいと思います。

さて、今日はガイダンスで終わりましたが来週から本格的に授業です。来週からは同大学他学部の授業も始まるので、そちらはまたどんな感じか楽しみです。

2011/05/01

博士論文進捗状況

1章 4分の1
2章 半分
3章 完了
4章 6割
5章 原稿完成、先生の指導済

正直ネタぎれになってしまった章に関して指導教授に相談しましたが、扱うネタ自体は現状維持でいいようです。となると明らかに量が足りていないのは論述不足ですね・・・。

先輩が、こんな短い作品について修士論文を書くのは大変だと或る先生にこぼしたところ、「俳句一句に関する本もある」と切り返されていたのを思い出しました。つまり、扱う文学作品はたった五七五の17文字しかないのに、一冊の本が書かれている、だから論じる作品の長さは必ずしも関係ないのだと。

もちろん、作品が短ければ分析しうる要素も絶対量は少なくなるので、書きにくいというのはあると思いますが。