2018/06/17

テーセウスの船の命題

アイデンティティーに関する論文を読んでいると、物に関するアイデンティティーを扱った論考も珍しくありませんでした。

一つの定番の命題として「テーセウスの船」がありました。


テーセウスの船があった。度々修理を重ねて、板を交換しながら使い続けているうちに、とうとう全ての板が新しいものになった。この船は、元のテーセウスの船と同じと言えるか。
一方で、修理の際に取り外した板を再利用して、同じ形の船を作っていったとしたら、修理を重ねた船と、リサイクル板の船と、どちらがより、元々のテーセウスの船と同一であると言えるか。


似たような例として、イタリアのポンテ・何とかと言う橋の命題もあります。橋を再建したら元の橋と同じものなのか?といったようなことです。
また、人物に適用した例として、メトシェラの命題というのもよくありました。


メトシェラ(旧約聖書の人物で、箱舟で有名なノアの祖父)は969年生きた。すると、1歳のメトシェラ=2歳のメトシェラ、2歳のメトシェラ=3歳のメトシェラ、…(以下略)というのは、明確に真であるとも偽であるともいえない。


どちらも、そのものが少しずつ変わっていくので、「transitivity of identity」等と表現されていました。

これを論理ではなく日常生活レベルで考えると、よく観光旅行で見る歴史的建造物や、何かの重要な物(例えば銅鐸や土器等)が、再建・復元であったりした場合に、「何だ、本物じゃないのか」と思ってしまうことがあります。そのような、普段の感覚・感情レベルで言えば、作り直したものや再現したものは、元の物と同じではないと考えられます。
人間のケースに関しても、通常の感覚レベルで考えれば、1歳、2歳と1年単位どころか、1日単位でも、大きく異なると考えられるケースもあります。いや、一瞬で激変するケースもあるでしょう。

論理的には、テーセウスの船は、修理を重ねた方がより元の船に近いとされ、メトシェラの命題は、昨年の自分イコール今年の自分とも、そうでないとも、どちらとも言い難いということになります。

結局は、物であれ人であれ、アイデンティティーはどこに宿るのかという問題になります。テーセウスの船にしても、板は新しいものになっていくとしても、船は継続的にテーセウスが所有し利用しているものであるという属性は同じままで続いていますし、部品を交換しているだけなので、船のデザインや性能等も変わりません。何が同じならば同一とするかという問題に収斂するわけです。

人間に関してはもっと難しく、思考実験として、脳の移植がよく引き合いに出されます。

仮に右脳と左脳が完全に同一の機能をもち、半分でも問題なく生きていけるとすると、自分の脳を半分ずつAさんとBさんに移植し、しかもその身体が自分のクローンであったら、どれが「自分」なのか?(ある論考によれば、「私」の存在は消滅し、別個の存在ではあるが最初は激しく似ているAさんとBさんになる。1つのものが同時に2つのものではあり得ないので、Aさん=Bさんにはならない。別の論考では、AさんもBさんも「私」ではない、とされる。更に他の論考では、AさんBさん共に自分なのであれば、AさんとBさんが同一人物となり矛盾するが、かといってどちらとも選べないので、そもそも、アイデンティティーは重要な事ではあり得ないと指摘。) 脳内の情報を全消去して移植したらどうなるのか? 脳の半分を他人に移植し、自分が死んだらその他人が存在し始めるが、自分が生き続けていたら「自分」はどうなるのか? 自分の脳を自分のクローンの身体に移植したらどうなるか?

なぜかこういったテーマでは、ブラウン氏とロビンソン氏が移植に使われて、ブラウン氏の脳をロビンソン氏に移植してブラウンソン氏ができた、ということにされていました。
ブラウンソンは意識的にはブラウンなわけですが、身体はロビンソンなので、例えばもしブラウンが痩せていてブラウンソンが肥満であったら、ブラウンソンとしては、結構違った自分になった気がするでしょう。少しずつ太っていくのとは違いますので、ある日突然華奢な人が巨体になったら、体型はその人の本質とは関係ないものであるにも関わらず、かなり自己認識に影響を及ぼしそうです。

他によくあったのはSFテレビドラマ・映画のスター・トレックシリーズについてで、スター・トレックに出てくる転送装置を経たら、その人は同一なままなのかというトピックです。
転送装置は、人間を分子レベルまで分解し、目的地に再現することで、瞬間移動とまではいかないまでも、かなりすぐにどこかへ移動できる物で、例えば大型の宇宙船でどこかの惑星に行ったら、着陸船を使わず、艦内から直接その惑星の地表の希望する地点へ行けますし、そこから艦内へ直接帰れます。一旦分解されることになるので、転送機を嫌がるキャラクターもいます。転送機は物にも使えます。スター・トレックの世界で転送機は日常の移動手段ですから、その度に自己同一性が損なわれているとしたら、大変なことになってしまいますが…(笑)。

2018/06/16

日本中世英語英文学会東支部研究発表会・西支部例会合同開催

日本英文学会全国大会から4週間が経ちました。

今日は、日本中世英語英文学会の東支部・西支部合同での学会が津で開催されています。外部からお招きした小栗栖先生による、中世フランスの武勲詩(chanson de geste)に関するお話も学会に先立って行われました。これは是非参加してみたかったですね。小栗栖先生のウェブサイトには、古仏語文法なども置いてありますので、是非。


私は日本中世英語英文学会に関しては、2004年の入会以来、東支部研究発表会は基本的に首都圏開催の時のみ出席し、全国大会は基本的に必ず行く、というふうにしてきました。しかし過去4年間は役員でしたので、東支部研究発表会が首都圏以外で開催されても必ず行かなければなりませんでした。東支部研究発表会だと学会開催は土日ではなく土曜日のみですが、午前中から会議があるので、遠方の場合、金曜日にもう行って泊まっておかねばならず、2泊することに。私の役員任期中、それが2度ありましたので、金銭的に痛かったのは事実です。
ということで、今回、役員ではなくなりましたから、従来の方針に戻って欠席することにしました。我々パートタイマーは学会出席に要する費用は自費ですから。

ただ…学会発表に先立って行われる総会で諮られる、昨年度の決算報告書は私が作った物なんですよね。作った本人がその場にいなくて良いのかという思いはやはりありましたし(会計監査の先生は総会で文字通り一言だけ報告するために北海道からいらっしゃるわけで…)、心苦しい思いではあります。もし、東西合同開催が実現しなかった場合は23区開催の予定でしたから、それであればおそらく出席したのですが。12月には全国大会で愛知県に泊まりがけで行く予定も控えておりますし、今日は欠席とさせて戴きました。

というかそもそもアイデンティティーの命題に関する記事を書こうとしていたのですが、学会欠席の言い訳エントリになり果ててしまいました(笑)。命題に関してはまた新しい記事を書きます。

2018/05/21

日本英文学会全国大会

東京都杉並区の東京女子大学にて開催されました。会長先生の勤務先です。

会場が東京女子大学と知った時まず頭に浮かんだのは、「土日だから中央線快速が西荻に停まらないじゃないか」ということです。ということで、吉祥寺駅からバスというコースを選択しました。

発表の司会者の先生には予め原稿をお送りするわけですが、まあ一週間程度前には差し上げた方が良いだろうと思い、13日に完成するように原稿を大幅改訂して、5訂版ぐらいにはしたでしょうか。ここ最近で矢継ぎ早に読んだ論考を無理矢理反映させて、やっつけ仕事になり、却って中途半端な考察になってしまいました。春休み77日+GW10日、それでもまだこの状況ですから、春休みの過ごし方(研究以外の本も沢山読んだ)を少々後悔しましたが、今更仕方ありません。
30分でおさまる分量になったかもチェックせねばなりませんので、(声はあまり出さずに)読んでみたところ、全く時間が足りません。
Wordの左下のほうに表示されている字数は丁度良いはずなのに、何かズレがあって、結局そこの表示で1400文字ぐらい削らなければならなくなりました。
読み練習(時間足らない)→削る→読み練習(時間足らない)→削る→読み練習(どうにか時間足りそうだ)というプロセスであった為、3回即ち約90分読み上げたことになり、土曜日の授業で喋り過ぎて既に酷使していた喉をすっかり痛めてしまいました。作業が完了したのは日曜の2時半でした。

というわけで、14日月曜日からは、指定医薬部外品ののど飴を大いに活用しながら、極力会話をせずに過ごし、授業でも最低限しか喋らないようにして、「一週間で治るかな?」と思いながら過ごしてきましたが、一向に治らない上に、木曜日の授業でどうしてもかなり喋らねばならない内容だったので、更に悪化し、金曜日には微熱が。そのまま風邪に移行したのかもしれません。
土曜日に頑張って喉をつぶしては元も子もありませんから、土曜日は急遽欠席しました。(懇親会費が・・・。)自信の持てない発表内容でしたが、突然、一番の心配は「30分話せるのか」になり、内容について心配する余裕はなくなりました。
時間配分を決めるために、口だけを動かして無言で読み練習を行いました。


そして日曜日、1時間35分と意外と早い所要時間で東京女子大学到着。まずお馴染みの「凡そ真なること」のラテン語を彫った建物が目の前にあり感激です。
幼い頃訪れたことがあるキャンパスなのですが、もう全く記憶がありません。

発表には今度は医薬品ののど飴と、指定医薬部外品ののど飴と、紅茶のペットボトルとを準備して、(そういえば発表者用のお水はありませんでした)いざ発表開始・・・ともう早くもパニックです。というのも、ストップウォッチが止まっていたのです。
おそらく、ストップウォッチを置き直した時に触ってしまったのでしょう。数十秒のまま止まっているのです。
気持ちとしては「ちょっと待って最初からもう1回!」とやり直したいところです。今からストップウォッチを再開しても意味がありませんし、本当に大パニックになりました。
やや早めのペースで読めば時間が余るぐらいであることは分かっているので、時間オーバーにはならないと思いますが、たっぷり余らせるわけにもいきません。しかも、前日決めた時間配分がパーです。
そこで、原稿に書いておいた予定経過時間を見て、原稿を読み上げながら、そのページにかかる予定の時間を、「このページは3分40秒ぐらいで読む」などと咄嗟に計算して、1ページごとにストップウォッチで計測していく方式にしました。
原稿を読みながら時間計算、そして1ページごとにストップウォッチを押す→止める→クリア、です。
しかし、一体どうしようと思いながら読んでいた最初の2ページにどれぐらい時間をかけたかがよく分からないので、果たしてこの方式で大丈夫かどうかも分からないのです。25分経過のベルが鳴るまでは何も分かりません。
結局、ベルが鳴ると、少し早めに進んだぐらいであったことが分かり、そこで改めてストップウォッチを始動させました。ベルを聞いてからストップウォッチを止める→クリア→再開という手順を踏んでいますから、ストップウォッチが5分を刻んだら時間オーバーです。ベルを聞いてからストップウォッチを始動させるまで何秒ロスしたかはよく分かりませんから、最後はベルが2度鳴るのではないかとヒヤヒヤして、最後の最後だけ早口になってしまいました。とにかく、ギリギリ声が出て良かったです。

質問は身近な方々から戴きましたが、決して頼んでおいたわけではありません。そもそも、今回の発表の内容は、先生のご指導を受けておりませんし、学生のように授業内で予行練習をすることもありませんので、原稿を司会者の先生にお送りした以外は、誰の目にも触れておらず、誰も聞いていなかったのです。100%自分一人で作り上げ、誰の指導もコメントも反映されていない、本当に私が作っただけの内容でした。
ですから、身近な方々がご質問くださったとはいえ、質問者のほうも、初めて見聞きする内容に関して質問を考えて下さったのです。

2015年の中世英語英文学会の発表でもそうでしたが、回答が冗長になってしまったので今後気を付けたいと思います。
今回はとりわけ内容に自信がなかったので、少なくとも調査はこれだけしてあるということを示したくなってしまったんですね。調べるだけなら誰しもできることですが。

聴衆は30名ほどと少なかったのですが、少なくとも、作品のことは面白いと思っていただけたようで、それだけで嬉しく思います。今回扱った作品には実に興味深いポイントが多かったので。

日曜の朝一番というのはなかなか大変でしたが、さっさと終わるという意味では良いですね。リラックスして次の発表2本(後輩によるものと、発表の司会で2度お世話になっている先生によるものと)を聞くことができました。後輩はハンドアウトにGaramondを使用していますが、私も今回は省スペースのため、一部Garamondにしました。で、我々二人とも「ビブリオグラフィー」の所をSmall capitalにしているという(笑)見た目もかっこいいですしね。

今回メインに据えた(英文学会なのに仏語の)Silenceという作品ですが、原典と英語の対訳本エディションが米アマゾンでペーパーバック19ドルほどと、手軽に入手できます。また、学術雑誌Arthurianaでは1997年と2002年にSilence特集号が発行されておりますので、こちらも是非。

終了後はランチ&カフェで5時まで吉祥寺にいました。この頃には少し声も出るようになって、皆さんとたくさん会話ができました。過去一週間極力会話を控えてきた反動か、喋り過ぎてしまい、再び指定医薬部外品ののど飴投入です。ただ、痛みはなくなりました。


月曜日は授業が15:20からなので、今もまだ家でこのようにブログ記事を書いております。そろそろ、身支度と昼食に入りたいと思いますので、このへんで。

そういえば今週は学会役員の先生に直接お会いして、会計業務引き継ぎの予定です。遂に学会の通帳を手放せます!(笑)任期終了から約2か月、漸く業務も完了です。

2018/04/28

10連休

昨日から10連休に入っています。

昨年も書きましたが、「授業が始まった途端に連休になってスタートダッシュを挫かれ、学生もだれてしまうので、GWを休日授業日にして、6月に代休を入れるか、7月早く終わるかした方が良い」とは思うのですが、今年に限り、私にとってこの連休は返上できない、欠かせない存在になっています。
日本英文学会には出たことがないので、「すごい時期に大会があるものだな」と今頃実感しています。新学期はパートにとってさえ結構忙しい時期です。それでもう、すぐに学会があるというのは・・・その前に77日にもわたる春休みがあったにも関わらず、なかなかきついスケジュールです。春休みは作品を読むので結構時間を使ってしまいましたし、先行研究に十分触れることができませんでした。

以前、12月の中世学会で発表した時には、夏休みに準備をするはずが、その前に本の一章となる原稿を書かねばならず、更にがん検診に駆け込む事態になったりしているうちに9月になってしまって、あまり夏休みを使えませんでしたが、それでも学期が2か月あるうちにリサーチも進みましたし、少なくともテーマが面白い(と自分では思っていた)ので、今回の発表に比べれば自信を持って臨むことができました。今回は、発表の仕方(プレゼンテーションスキル的な面で)でカバーする他ありませんね(苦笑)。但し、唯一面白いと言えるのは、作品そのものです。中世の作品で、自分に疑問を持つ主人公、しかも自分の武勇や恋愛などではなく、自分の存在やライフコースに確信が持てない主人公像、さらにそれが女性であるというのはそこまでありきたりではないように思いますし、「自己認識」というテーマから、思いがけず、懐かしの修士論文にまで関連してきました。その辺りのテーマで、日吉図書館で偶然、非常に興味深そうな本も見つけてきました(読む暇はあるのでしょうか?)

読みたい本ややりたい勉強もあるのですが、学会までは読書断ち、語学断ちで頑張ります。

2018/04/07

スケジューリングの力

春休みも今日を入れてあと3日となりました。本当に77日もあったのかと思う程早く過ぎ去りました。
やってもやっても終わらない長い長い春学期が控えています。6月頃には「もうこれ以上働けない」というほど疲れて、ほぼ必ず何らかの人生初の症状に見舞われるので(人生最長の風邪など)今年も心配です。パートタイマーでこれだけ疲れるのであれば、フルタイムになったらどうなってしまうのだろうというのが非常に不安です。


先に学会発表原稿を書いてから研究を進めるという変則的なやり方をしましたが、これはこれで良いところもあったなと感じています。
研究不足のまま字数の充足だけを目標に書いた原稿は当然ひどい出来上がりではありますが、とにかく自分の考えたことが書いてはあるので、一応自分の思考を言語化したところで様々な論文を読むと、ひどいなりに書いたものを多角的に見られて、どんどん考えが深まります。

今では自宅からでも勤務先②の大学図書館のデータベースに接続して学術雑誌に掲載された論文のPDFファイルをダウンロードできますが、このサービスは手放し難いですね。
以前は専任教員・学生のみのサービスだったのですが、非常勤講師にも使えるようになったことで、格段に文献集めが楽になりました。勤務先②の、自宅から近いほうのキャンパスに行くのでも片道700円はかかりますし、このサービスは本当に助かります。
このサービスを、有料でもいいので卒業生が使えるようにしてくれたらいいのにね、ということを以前後輩に言ったら、賛成してくれました。あまりにもデータベースの充実度が他大学と違うので、仮にこのようなサービスがあったら、年間2万円ぐらい喜んで払います。いや、月々5000円でも払うでしょう。それぐらい捨て難いサービスです。
学術的な面以外でも、日常生活において、新聞や雑誌のデータベースも週に複数回使っています。こちらも手放せません。将来勤務先②に所属しなくなって、これらのデータベースが使えなくなったら、日々大きなストレスを感じることでしょう。


さて、77日もあった春休みには、スケジューリングを採用しました。
『できる研究者の論文生産術』でも、とにかく論文執筆のスケジュールを割り振ることが徹底して主張されています。というか、本書の主張はそれだけです。
週4時間確保するだけでも随分違うとのこと。ウイークデーだけを使う前提で、一日48分です。
本書では、時間があれば書けるのにとか皆言うけど、結局決まった時間に毎日TV見たり授業したりしてるじゃないか、というつっこみがあります。同じように、授業時間のように、「論文執筆(文献読みなどの、執筆に必要な作業も含める)の時間」というものを入れて、極力その時間を死守せよというわけです。
アメリカの大学のスタディスキルズのホームページでも、スケジューリングが推奨されていました。
そこで、いろいろ検索した結果、Excelのテンプレートなども試したのですが、結局は、個人的に気に入ったScatteredSquirrel.comのプランナーのうち、一つを選んで、ほぼ毎日使いました。
このデイリープランナーは、早朝6時から夜の12時半まで30分刻みに欄があるので、起床・朝食後、時には30分刻みでその日の予定をたてて取り組みました。

これまで長期休暇中は、専門書・学術雑誌講読などの研究関連の作業をするとそればかりになってしまって趣味ができない、趣味に時間を使うと研究がおろそかになる、という事態が生じていましたが、デイリープランナーを使ったところ、研究対象の文学作品を読み、論文を読みつつ、趣味の語学や読書もできて、充実感がありました。取り敢えずは、書籍や教科書、参考書を15冊読めました。その他、マーフィーの英文法などの練習問題を解いたり、Wheelock's Latinを進めたりもしました。論文は2言語で11本ぐらい読みました。まだまだ論文と専門書を読まなければなりません。来週火曜日から授業が始まるので、学会に向けて、9コマの授業と研究の進展の両立が課題ですが、今年初めて使う教材は3冊と例年より少ないので、何とかなると信じたいです。(笑)とにかく、あとたった1か月少々ですから、全力で頑張りたいです。

このようにデイリープランナーには良い効果があったので、学期中の休日(金土日)にも使おうかなと考えています。授業日(月~木)はひたすら授業準備で終わるでしょうから、予定も何もないという事態になるかなと。
デイリープランナーは一日の振り返りにも有効です。必ずしも予定通りにいかないこともしばしばですし、予定以上にパソコンを使い過ぎたなあ、などと夜に振り返ることができます。



明日は毎年楽しかった学会役員会議です。私は任期満了ですのでもう出席しませんが、決算報告作りという最後の業務はまだ残っています。
とはいえ、今年は出費の件数が少なく、領収書をノートに添付し、出納簿を完成させる作業もあっという間に終わり、検算したところ、自分の作った書類と通帳の数字がぴったり合いましたので、問題なさそうです。あとは、別口座に入っている年会費収入の移動と会計監査を待つのみです。
4年間学会の通帳を持ち続けてきましたので、早く次の先生にお渡ししたいですね。(笑)自宅に学会の通帳があるというのはやはり何となく気になりますし、書類や過去のノートなど結構場所を取るものです。
以前も書いたように、この仕事は、年度末に領収書添付などの作業にちょっと時間を取られるのと、4~6月にゆうちょ銀行のATMに寄ることが増えるというだけのことで、年3回の会議のうち2回は学会当日(つまり、「どうせ学会に行く」という状況)だったので、特に負担になるものではありませんでしたし、何よりいつも会議が楽しかったです。
小規模とはいえ、学会の決算報告が自分で作ったものだというのはちょっと緊張感を覚えることではありましたが、ぴったり数字が合った時の「やった!良かった」という気持ちも達成感がありました。
1年間、領収書を紛失しないように取っておくことも多少の緊張感のようなものがありましたが…
4年間あっという間でしたが、貴重な経験をさせていただきました。お世話になった役員の先生方には改めて御礼申し上げます。

2018/03/05

学会発表原稿執筆

今日は台風接近中としか思えないような天候です。湿度も高く、寒さがゆるんだどころかもはや暑さを感じるような今日この頃です。

5月の学会発表の原稿執筆ですが、量的には先程終わりました。しかし字数を充足しただけです。
何も書けていないのが気にかかって仕方なかったので、とにもかくにも量だけ間に合わせることを第一に打ちましたので、これから大幅に書き直していかなければなりません。
今度扱う作品の主人公の自己同一性はまさしくシュレディンガーの猫のようなものだといえます。
量子力学的自己同一性ですね(笑)。

一日中パソコンに向かう生活は久々ですが、少々目が疲れる気もします。そもそも目の疲れというもの自体基本的に無縁なのですが、年を取ったということでしょうか。博士論文を書いていた頃などは、一日12時間はパソコンがついていましたけれども、特に目の疲れはありませんでした。
曲がりなりにも一旦原稿を書いたということで今日は一度パソコンを閉じて、画面ではなく書籍の紙面に向かいたいと思います。

ところで、今度メインで扱う作品の写本は、見つかっている限り1冊しか残っていないのですが、その写本の内容をとりあえず(その写本を所蔵している英国の)大学図書館のオンラインカタログで調べました。何かの作品を新たに取り上げる時には、必ず写本の中身を調べる癖がついています。当該写本は1911年に、英国貴族の館Wollaton Hallにて、「old papers---no value」と書かれた箱に入っていたのを発見されたとのことです。箱にはイングランド王ヘンリー8世からの書簡も入っていたとかで、no valueどころではありません(笑)。その貴族の館は現在観光できるようで、紹介動画はここにあります。

写本は様々な作品が入ったもので、物語・ファブリオ系の一冊でした。上記大学図書館のオンラインカタログでは、一冊の写本に入っているそれぞれの作品の出版情報も書いてあって非常に便利でした。しかも、その写本を底本にした書籍なのか、同じ作品だけれども違う写本を使ったものなのかまでが明記されていたので更に便利でした。ほぼ全ての収録作品について、まさにこの写本をもとにした校訂版が刊行されているようでした。
ジャンルだけから安易に判断すると、楽しく物語を読む・聴く感じの、娯楽目的の一冊だったのでしょうか。但し、(いつの時代にかまでは書いてありませんでしたが)再製本されているということでしたので、中世人が今残っているままの内容でこの写本に接したとは限らないようです。取り敢えず現時点での収録作品数は18で、そこに83もの細密画(オールカラー)も添えられています。短いファブリオ以外は全ての作品に細密画が入っているようです。収録作品の言語は一言語だけです。

2018/03/03

新刊情報―The Invention of Race in the European Middle Ages

 
Geraldine Hengの研究書は以前記事にしたと思いますが、今度このような研究書(ハードカバー、現在日本のアマゾンだと5770円)が出るようです。表紙もかっこいい感じでインパクトがあります。
「人種」「人種差別」といった観念は現代の産物であるという考え方を問い直す一冊のようです。非常に興味深そうな一冊ですが、購入を検討する価格ではありません(苦笑)。研究書は内容も古くなってしまいますし、研究文献よりも作品の本の購入を優先しています。
 
ところで、来年度ご定年と思い込んでいた先生が、実は早生まれでいらっしゃったために今月を以て定年退職となるということを先週初めて知り、大変驚いている次第です。なぜ、皆一年以上前から最終講義の話をしているのだろう?とかねがね不思議に思っておりました。専門分野は違いますが、学部時代、いえ、厳密に言えば高校時代から今までお世話になりました。本当にありがとうございました。

2018/02/08

Silence読了

5月の学会発表で取り上げる作品を、漸く一昨日読み終わりました。
Silenceは13世紀フランスの、韻文で書かれた物語で、同名の女性主人公のストーリーです。

<あらすじ>
イングランド王Evanはノルウェー王女Eufemeと結婚する。王の臣下Cadorはドラゴン退治の褒美として、コーンウォール伯の娘Eufemieと結婚する。
ある伯が双子の姉妹と結婚して、どちらが長女をとるか(相続狙いで)争った挙句相討ちになってしまったため、こんな理由で伯たちを失った王Evanは女性の相続を禁ずることにした。
そんな中、CadorとEufemieに子供ができる。相続ができるように、例え女の子が誕生しても男の子として育てることに決め、結局女児が誕生したため、Silenceと名付け、男児のふりをさせて養育。

成長したSilenceは王Evanの許に出仕するが、そこで王妃EufemeがSilenceに恋してしまう。Eufemeの誘惑をはねつけるSilenceに怒った王妃は、「Silenceに迫られた」と嘘を言って夫である王に復讐を迫る。仕方なく王は手紙を持たせてSilenceをフランス王の許へやることに。
しかし、王妃は自ら、Silenceを死刑に処すようにと手紙に書いて王の書簡とすり替えてしまう。

フランス王の許に到着したSilenceだが、フランス王は書簡を見て葛藤し、臣下の伯たちの「こんな手紙をイングランド王が送るでしょうか?」との助言により、Silenceが持参した書簡を同封した手紙を王Evanへ送付。

イングランド王Evanはフランス王からの手紙を読み、同封されていた自分の手紙を見て、自らの書記を問い質し、王妃の仕業と気付くが、面目を保つためさしあたり他人のせいにしておく。

やがて騎士叙任されたSilenceは武勇に優れ、イングランド王に対する反乱の戦が起きると王Evanに呼ばれ、王を助ける。再びSilenceに迫った王妃は拒まれた為、王に「Silenceに迫られる」と訴え出て、国王夫妻は「女性の策略によってのみ捕らえられる」という魔術師マーリンを連れてくるという無理難題をSilenceに課すことにした。

しかしSilenceは実は女性なので結局上手くいき、マーリンが全てを暴露して、王妃は四つ裂きの刑に。女性の相続も再び認められ、Silenceは王Evanの妃となった。





ということで、大筋はありがちな感じではありますが、NatureとNurtureが普通に登場人物として出てきて互いに喧嘩したり、言葉遊びのようなところがあったり、(当時のミソジニー伝統に比すれば全く大したものではありませんが)女性批判があったり、当世批判が結構あったり、Silenceに迫るイングランド王妃とSilenceの母親のコーンウォール伯令嬢とが酷似した名前であったり、色々と興味深い点が多く、是非多くの方に読んで欲しいと思った作品でした。文学研究において様々なアイディアを考えるのが得意な人なら、かなりの材料が見つかりそうです。

本作はマーリンが登場し、重要な役割も果たしますが、円卓の騎士やアーサー王自身が登場するわけではないので、「アーサー王伝説」のくくりには入れられない気がします。聖杯も勿論言及されません。
とはいえ、マーリンが、「靴買ったってあの人すぐ死ぬのに」と予見した有名なエピソードがなぜか入っている他、Silenceがマーリンを捕らえる時に、マーリンの死を求める理由として「私の祖先(=アーサー王の母イグレーヌの夫)を殺したから」と述べて、Silenceがアーサー王と一応遠縁であるということになっています。

2018/01/01

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

例年通り、普段と一切変わることのないお正月を過ごしています。祖父母も全員故人となり、会う親戚もいません。

昨年は取り立てて良くも悪くもない一年でした。今年はまず、日本英文学会デビューがありますので、今から新しい研究を作ります・・・。

年が明けたといっても、日々は連続しているのですし、暦に振り回されることなく、特に今年の目標などを立てることもなく、目の前の課題をこなしながら生活していきたいと思います。

それにしても、無理に応募したために、日本英文学会の発表は非常に気が重いです。初めて出るなら、長年あたためてきたとっておきのテーマで出たかったですが。

1~3月の勤務日数は6日です。行く、逃げる、去ると称されるこの時期は今日から既に過ぎ去り始めているので、今日から無駄にせずに色々なことに取り組みたいと思います。

2017/12/20

期末テスト作り

問題作成は漸く終了しました。(担当は9コマです)

印刷・ホッチキス留め・折りまで済んだのは1コマだけですが、試験問題がA3一枚しかないクラスが3コマある他、置いておく場所が無い為に当日印刷せざるを得ないクラスが2コマあり(但し、元々空きコマがあるので、例年十分間に合っている)、来週授業の合間に作る予定のクラスも2コマあります。

いずれにしても、残る作業は印刷等だけです。

シラバスも前述のようにあと2コマ分だけですし、期末・年度末シーズンの様々な作業も大体終わってほっとしました。


来年度の教科書について、久々に南雲堂の教科書(Reading Pass)を使おうかと思ったのですが、日本の出版社でも洋書系教材であり、リスニング、語彙など様々なアクティビティがあるのは良い一方で、本文があまりにも短くて、UNIT 20まであっても年間30回の授業持つかどうか極めて不安なため、採用は見送りました。1回で1UNIT終わってしまいそうです。